石鳥居
赤根神社
当神社は赤根天神社と称し、祭神は伊弉諾尊・伊弉なみの尊を祀っている。古い昔より、その神徳を願し、地域住民は家内安全、五穀豊穣を祈願して参り、古い書物や今里自治会館に保管してある古文書にも色々と記録されている。古老の話などでは、その昔、今里には神輿が一基あって向日神社の御旅所でもあった。年間の行事には元旦祭を初め、お節会祭・向日神社還行祭・お千度参りなどがある。その他、五穀豊穣にまつわる祭も盛大に行われている。現在、神社のお守りは今里区民が1年交替で毎月1日と15日に本殿や参道を掃き清め、御神酒をお供えし、鎮守の神として区民の安全を祈願している。近年は、近郷の人びとの参拝もとみに多い。
長岡京市観光協会
宝永6~7年(1709~10) 石田瀬兵衛間政永 寄進
平成御大典奉祝
伊勢神宮式年遷宮
記念樹
本殿
赤根天神社
赤根天神社は、伊弉諾尊・伊弉なみの尊を祭神とする。もとは、もとは、井ノ内の旧石田家が奉祀する神社で、応仁の乱で焼失したが、それまでは、この地に石田家の屋敷があり、屋敷内にたつ鎮守社であったという。現在、赤根神社は、今里区民の鎮守として奉られている。今里集落の北端に位置し、社地は南北に長く、南に鳥居をおき、参道は北へのびて本殿・社務所に達する。本殿は、正徳3年(1713)10月の造営と伝えられるが、蟇股・虹梁桧様などの細部意匠は18世紀前期のもので、正徳3年の造営の可能性は大きい。
本殿は、覆屋内に建つこけら葺の一間社流造で、正面に奥行一間の前庇を付けて拝所としている。身舎は、亀腹基壇の上に土台を据えてたち、正・側面三方に高欄付の切目縁をめぐらして、正面に浜床を設けている。身舎内部は二室からなり、内陣正面に板扉、外陣正面に格子戸4枚をたてている。比較的規模の大きい一間社流造で、全体に堅実な造りとなっている。
本殿には、「寳永2歳酉三月日、源平寺町、久右衛門」の刻銘のある瓦製狛犬一対を安置している。また、境内には、宝永6~7年(1709~10)に石田瀬兵衛間政永が寄進した石燈籠や石鳥居が現存している。当社は、在地の土豪の旧鎮守社という由緒も加わって、当地の歴史を語るうえで興味深い存在である。平成12年3月
長岡京市教育委員会
「寳永2歳酉三月日、源平寺町、久右衛門」の刻銘
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