平成29年5月29日
尊勝院は天台宗で青蓮院に属する寺院で、保延2年(1136)陽範阿闍梨が鳥羽天皇のために比叡山横川で尊勝法を修し、その恩賞として同地に尊勝坊(院)の号を賜ったのを起こりとつたえる。僧行観の代に尊勝院の別院として現在の地に堂宇を営み、同じく尊勝院と名付けた。それより青蓮院の院家筆頭として代々門跡執事となり、歴代の住職は日野家の猶子の資格で入寺いるならわしとなった。応仁の乱に罹災し、久しく荒廃にまかせられていたが、慶長年間(1596~1615)豊臣秀頼によって本堂が再建された。堂内には本尊元三大師像をはじめ地蔵菩薩像・庚申三猿像等を安置する。中でも地蔵像は三条白川橋畔にあった金蔵寺の遺仏で、体内に籾粒が納入されていることから、俗に「米地蔵」とよばれ、これを信仰するものは米の食いはぐれがないと信じられた。また三猿像も同じく金蔵寺の遺仏で、維新前までは毎年庚申の日には都の子女が群参したる俗に「お猿堂」または「粟田の庚申堂」とよばれて親しまれたが、明治初年に尊勝院に合併された。
江戸時代には洛陽48願所の第24番霊場となった。
画像追加 平成29年6月6日 平成28年11月12日 この日は扉が開いていました
おみくじの元祖
ご本尊(本家は比叡山横川) 元三大師
(元三慈恵大師)如意輪観音、不動明王の化身といわれています。
毎月3日11時より厄除祈願、所願成就の護摩供養を致しております。
此のおふだは角大師と申します
ご本尊 元三大師慈恵大師さまが鏡に向かって祈念されている時、このお姿が出現し今でも厄除け、病魔除けとして信仰されております。玄関の上又、人の見えるところにガビョウを使わずおはりください。合掌
通称 元三大師 お正月の3日に亡くなられました。
関連記事 ➡ 京の三庚申
寺院 前回の記事 ➡ 寺院東0366 青蓮院 大日堂
五七五
悪かった方が優しいけんかあと /藤不二
ことわざ
鬼も十八番茶も出花
四つ辻
古名を「石灯篭」という。「見付の峰」と呼ぶこともある。四つ辻は展望がきき、やれやれ一休みという場所である。昭和20年代の初め、ここから双眼鏡で大阪城天守が見られたという。(古老伝承)
ここからの見晴らしは素晴らしい 京都市南部がよく見える
画像追加 平成29年6月6日 平成28年11月12日 撮影
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0403 伏見稲荷大社 参道の石鳥居と社号標
五七五
おしっこが普通にできるありがたさ /ぴーせん
ことわざ
菜薪の憂い(さいしんのうれい)
いり豆に花 (いりまめにはな)
下のユーザー地図で京都の記事探索が出来ます。試してみてください