アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き左0474  京都一周トレイル  東山コース 44-1

2017年06月06日 19時42分21秒 | まち歩き

 

 まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き左0473 京都一周トレイル  東山コース 43-2

五七五

一日が妻のペースで過ぎてゆく /杉野

ことわざ

糟糠の妻(そうこうのつま)


寺院東0367  尊勝院  庚申堂

2017年06月06日 11時09分55秒 | 寺院

 平成29年5月29日

尊勝院は天台宗で青蓮院に属する寺院で、保延2年(1136)陽範阿闍梨が鳥羽天皇のために比叡山横川で尊勝法を修し、その恩賞として同地に尊勝坊(院)の号を賜ったのを起こりとつたえる。僧行観の代に尊勝院の別院として現在の地に堂宇を営み、同じく尊勝院と名付けた。それより青蓮院の院家筆頭として代々門跡執事となり、歴代の住職は日野家の猶子の資格で入寺いるならわしとなった。応仁の乱に罹災し、久しく荒廃にまかせられていたが、慶長年間(1596~1615)豊臣秀頼によって本堂が再建された。堂内には本尊元三大師像をはじめ地蔵菩薩像・庚申三猿像等を安置する。中でも地蔵像は三条白川橋畔にあった金蔵寺の遺仏で、体内に籾粒が納入されていることから、俗に「米地蔵」とよばれ、これを信仰するものは米の食いはぐれがないと信じられた。また三猿像も同じく金蔵寺の遺仏で、維新前までは毎年庚申の日には都の子女が群参したる俗に「お猿堂」または「粟田の庚申堂」とよばれて親しまれたが、明治初年に尊勝院に合併された。

江戸時代には洛陽48願所の第24番霊場となった。

画像追加 平成29年6月6日   平成28年11月12日 この日は扉が開いていました

おみくじの元祖

ご本尊(本家は比叡山横川)  元三大師

(元三慈恵大師)如意輪観音、不動明王の化身といわれています。

毎月3日11時より厄除祈願、所願成就の護摩供養を致しております。

此のおふだは角大師と申します

ご本尊 元三大師慈恵大師さまが鏡に向かって祈念されている時、このお姿が出現し今でも厄除け、病魔除けとして信仰されております。玄関の上又、人の見えるところにガビョウを使わずおはりください。合掌

通称 元三大師 お正月の3日に亡くなられました。

 

 

 関連記事 ➡   京の三庚申

        道標東0074  尊勝院  庚申堂   立派な土台付きです

           道標東0111  元三大師

           洛陽48願所地蔵尊

寺院 前回の記事  ➡  寺院東0366  青蓮院 大日堂  

五七五

悪かった方が優しいけんかあと /藤不二

ことわざ

鬼も十八番茶も出花


まち歩き伏0404  京都一周トレイル 東山コース 3-1  伏見稲荷 四つ辻

2017年06月06日 10時01分30秒 | まち歩き

四つ辻 

古名を「石灯篭」という。「見付の峰」と呼ぶこともある。四つ辻は展望がきき、やれやれ一休みという場所である。昭和20年代の初め、ここから双眼鏡で大阪城天守が見られたという。(古老伝承)

ここからの見晴らしは素晴らしい  京都市南部がよく見える

画像追加  平成29年6月6日    平成28年11月12日 撮影

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き伏0403 伏見稲荷大社 参道の石鳥居と社号標

五七五

おしっこが普通にできるありがたさ /ぴーせん

ことわざ

菜薪の憂い(さいしんのうれい)

いり豆に花 (いりまめにはな)

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まち歩き左0473 京都一周トレイル  東山コース 43-2

2017年06月06日 09時24分26秒 | まち歩き

 

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五七五

大ジョッキと俺を無縁にしたカルテ /鈴木

ことわざ

人酒を飲む 酒酒を飲む 酒人を飲む


まち歩き左0472  京都一周トレイル  東山コース 43-1

2017年06月06日 05時51分11秒 | まち歩き

 

 

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五七五

小さき夢 生きた証と自叙を編む /吉田

ことわざ

歳月人を待たず