左中央の森は京都御苑
左手前の森は吉田山
手前の森から 金戒光明寺、吉田山、京都御苑、二条城
足元は 大文字送り火の火床
金戒光明寺、その左に岡崎公園一帯、右方に吉田山、奥の大きい森は京都御苑、
その左奥が二条城、さらに右奥が双ヶ丘
手前から 吉田山、鴨川・高野川の合流点、中央の奥に伸びる道は今出川通り
金戒光明寺、右方に吉田山、奥の大きい森は京都御苑、その左奥が二条城、
さらに右奥が双ヶ丘
金戒光明寺、その左に岡崎公園一帯、右方に吉田山、奥の大きい森は京都御苑、
その左奥が二条城、さらに右奥が双ヶ丘
火床
大文字送り火は冥土帰る精霊を送るために行われる盂蘭盆会の行事の1つである。起源は民衆が戦没者のための鎮魂の火として、また疫病払いのためにと、戦乱の収まった江戸時代初期頃に創始されたという。点火に当たっては、浄土寺町の有志の人々の奉仕により、行われる。精霊の送り火のみならず、悪疫退散・王城鎮護を祈願する宗教行事でもあるところから、古来これに付随していろいろな俗信が行われた。丸い盆に水または酒を入れ、これに送り火をうつして飲むと、中風にかからないといわれ、また当日、松割木(護摩木)に自分の名前と年齢を書き、山上の火床の松割木とともに焚くと厄除けにきくとされている。
岡崎公園一帯 手前の森は金戒光明寺
なぜか猫がいました
中央の森が京都御苑
北方面 奥の建物は 焼却場
中央やや左よりのピークが愛宕山
北方面 鴨川の上流 樹木が多くわかりやすい
左寄りの 3つの山が 双ヶ丘
関連記事 ➡ 大文字寺 浄土院
関連記事 慰霊碑 戦没碑 ➡ 慰霊碑 戦没碑
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き左0478 大文字山で 木の根
五七五
あじさいが1年振りの自己主張 /掛川
ことわざ
災害は忘れた頃にやって来る
平成27年4月10日
唯一 北野天満宮の境内で店を出している
天正年間 (1573~1592年)の創業 古い まあよく続いています すごい
平成29年6月8日 画像追加
右書き看板上121 餅郎五長
右書き 看板 前回の記事 ➡ 右書き看板伏119 店支屋河駿
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き東0079 鳥辺野(とりべの) 阿弥陀ケ峰(豊国廟)参道