普門山と号し、真言宗智山派の寺、白鳳時代の銅造釈迦仏と不思議な霊験談を有する名刹。
昔この村に篤信家があって、7つになる娘もつねに観音を信仰していた。その娘がある日、蟹を捕える村人をみて、これを買い取り、逃がしてやったことがあった。その後、娘の父は田圃で蛙を呑もうとする蛇をみて、蛙を放すのなら娘の婿にしようといったところ、蛇は呑みかけた蛙を吐き出して姿を消した。その夜、人間と化した蛇が訪ねてきて、昼間の約束の実行を迫った。おどろいた父は3日の猶予を乞い、そのあいだに堅固な部屋をつくってその中に娘を閉じ込めて隠れさせた。3日後に訪ねてきた男は、この有様をみて大いに怒り、たちまち本性をあらわし、娘のかくれている部屋を這い巡り、尾をもって戸を叩き破らんとした。ところが夜中に多数の蟹が来襲し、蛇をさんざん挟み斬って娘の危難を救った。これは娘がつねに信仰する所の観音の加護によるものといわれ、殺された蛇は蟹と共に1ケ所に埋葬し、一宇の堂を建てたのが当寺の起こりと伝わる。
太秦広隆寺の蔵書には、秦河勝の弟和加(阿津見長者)の建立とある。奈良朝以前に秦氏一族によって造営されたものといわれるが、裏付ける飛鳥・白鳳時代の瓦の出土がいまだない。
江戸時代の正徳元年(1711)智積院の亮範法師によって再興された。真言宗智山派の寺となった。
本堂は宝暦9年(1759)の再建。
本堂に安置される。釈迦如来座像は国宝・奈良時代
現在は当寺の本尊になっているが、実際は他所にあった仏像で、銅造、丈六の巨像。現存する古い銅仏としては奈良薬師寺の薬師如来座像と並び称される。
蟹が彫られていますが
燈籠にも蟹
扁額
本堂の壁に
社務所の前で
釈迦如来座像
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ことわざ
蟹は甲羅に似せて穴を掘る