什宝に延喜8年(908)在銘の黒鉾があり。創建はそれ以前。
もと白川村に西、字久保田宮の前にあったが、文明年間(1469~87)足利義政の発願により、現在の地に移したと伝わる。近世は照高院門主の崇敬を得、道晃法親王染筆の「天神宮」としるした額を賜った。文政13年(1830)社殿を焼失し、現在のはその後の再建である。天神橋は白川に架かる石橋をいう。明治27年(1984)につくられた眼鏡橋で、アーチ式の石橋になっている。
例祭は毎年10月20日に行われる。23日出輿祭当日には、昔から伝わる古式の儀が行われる。これを「高盛御供」といい、3つのカワラケに野菜の煮物をうず高く盛、正装した白川女によって神前に奉納される。
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五七五
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