延元4年(1339)南禅寺15世、虎関師練が開山大明国師(無関普門)の塔所としてひらいたのを、慶長7年(1602)細川幽斎によって再興された塔頭で、細川家の菩提寺となった。
方丈の襖絵は長谷川等伯64歳の時に描いたものといわれ、水墨による「商山四皓図」8面、淡彩による「禅機図」16面・「松鶴図」8面、計32面(重文・桃山時代)は等伯晩年の作だが、筆力がある。
庭園は方丈の東に枯山水の庭園(明治)と書院の南部に池泉回遊式庭園(南北朝)の2つからなっている。
境内墓地には細川幽斎、梁川星巌夫妻、横井小楠夫妻、歌人渡忠秋、医師新宮凉庭 等多くの名士の墓がある。
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