蹴上は三条通の日ノ岡峠(山科区)にかかる上り口、市営蹴上浄水場より日向大神宮の石鳥居前一帯をいう。三条白川橋より山科・大津に至る国道筋にあたり、昔は京都の玄関口であった。
ここが蹴上と呼ばれるようになったのは、安元3年(1177)の秋、牛若丸は金売吉次にともなわれ、奥州へくだる途中、たまたまここを通りかかった平家の武士、関原与市重治の馬が、水溜りの水を牛若丸に蹴りかけた。牛若丸はその無礼をとがめて争いとなり、与市を斬り捨てたという。それよりここを蹴上と呼ぶようになった。と伝わる。
この時斬られた与市主従9人の菩提を弔うために、石仏9体を安置した。そのうち3体がこの石仏といわれる。
一説には、粟田口刑場で処刑された人々の菩提を弔うために安置されたものともみられている。
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