北大路魯山人は明治16年(1883)3月23日、ここ上賀茂の地で生まれた。15歳で当時流行の「一字書き」で次々と受賞を重ね、一字書きの名手として名をあげるなど、年少時代から非凡な才能を発揮した。明治37年(21歳)に、日本美術展覧会に隷書「千字文」を出品し一等賞を受賞、その後、書や篆刻、刻字看板を制作し、併せて古美術と料理にも興味を持つようになった。
大正14年(42歳)に東京で「星岡茶寮」を開設し、仕入れ、料理などに卓越した技量を発揮して、美食家としてもその名を世間に知らしめた。昭和2年(44歳)に星岡茶寮で用いるため、北鎌倉に「星岡寮」を築き本格的に作陶を始め、多数の優れた作品を残した。
魯山人は、書、篆刻、陶芸、料理など幅広い分野で人並み外れた優れた業績を残し、昭和30年(72歳)に重要無形文化財(人間国宝)の認定を打診されたが、固辞した。美の追求に一生涯を掛けた偉大な巨人であったが、世間の名声にはまったく無頓着であった。昭和34年(1959)12月21日、76歳で横浜の地で逝去し、京都西賀茂の小谷墓地に葬られている。
平成21年3月23日
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