むかしはこの辺は道が険しく、登山しにくかったので、ここより馬を返したところといわれています。
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一郎、二郎、三郎、四郎、五郎、六郎があるアパートの下の図のように
1号室から6号室のどれかに住んでいます。
6人の名字は 月岡、火野、水原、木田、金子、土井のどれかです
次の各文はその住人についての話です。
㋐ 月岡三郎の部屋の両隣りには、土井と金子が住んでいる
㋑ 一郎の向かいには四郎、火野の向かいには土井が住んでいる
㋒ 木田一郎、1号室の二郎、2号室の水原の3人は同じ大学に通っている。
㋓ 土井と五郎は幼なじみである。
このとき、6つの部屋の住人はそれぞれ誰でしょう。
今までの問題
今から約400年前の江戸時代初期、「寛永の三筆」の一人で、当代一の文化人であった僧侶・松花堂昭乗がこの坊で晩年を過ごしました。昭乗は石清水社の隣の「瀧本坊」の住職でしたが、引退したのち泉坊に庵を建て、「松花堂」と名付けました。
明治時代の神仏分離令で、男山からすべての坊が撤去されることになり、今ではここから約2㎞南にある「松花堂庭園」に、草庵 松花堂と書院が移築されました。
泉坊 松花堂跡
昭和2年建立 京都三宅安兵衛依遺志
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