「清水の舞台から飛び降りたつもりで...○○する!」という、決心の言葉は聞いたことがあるのでは?
本当に飛び降りた人々がいたから生まれた言葉。
成就院に残る記録によれば、江戸時代の中期・元禄7年(1694)から明治維新直前の元治元年(1864)までの間に、
未遂を含めてなんと235件もの飛び降り(当時の記録では「飛び落ち」)があったとか。
ほとほと困った寺では、「防止柵をつけるとか、人々に飛び落ちないよう指導してください」と、
京都町奉行所へ何度もお願いしたという記録も残っています。
明治時代に入って、ようやく舞台の周りに竹矢来が組まれ、京都府から禁止令が発令されて終息したのです。
明治時代中ごろに写された清水寺の写真には飛び降り防止の柵が写っています。
地上約12メートル、4階建てのビルに相当する清水の舞台。この高さから飛び降りて、
はたして無事だったのでしょうか...。先の成就院の記録の統計によれば、生存率は約85%。
かなりの人が、命を落とさずにすんでいます。
大塔は、天永2年(1111)に完成した巨大な仏塔です。平安時代後期、初めて院政を開き権勢を振るった白河法皇の御願により建てられました。
慶長10年(1603)には豊臣秀吉の子・秀頼が再建します。その絵図面によると、現存する和歌山県岩出市 根来寺の大塔(国宝)とほぼ同規模の、日本最大級の真言形式の大塔でした。側柱一辺14.9m、高さ27.1mもありましたが、今から約150年前の明治の初め、神仏分離令のため取り除かれました。
平成22年(2010)の発掘調査で、塔の周りに四角く巡らせた雨落ち溝と、柱を支えた礎石やその抜き取られた穴が確認されたことから、大塔の位置と大きさが正確にわかりました。現在、生垣の通路に見えている丸い花崗岩は、落ち縁の礎石です。
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