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史跡八幡073 石清水八幡宮 表参道 中坊と椿坊跡

2020年02月09日 18時43分26秒 | 史跡・旧跡

 

 

 

中坊と椿坊の坊跡

神仏習合の宮寺・石清水八幡宮では、江戸時代末まで山内に数々の坊があり、「男山四十八坊」と呼ばれました。

この周辺は「中谷」といわれ、現在の社務所周辺まで、所狭しと坊が建てられていました。明治の初めに神仏分離令によって取り除かれ、現在は石垣を残すだけですが、詳細な絵図が残されており、坊の名前もわかっています。四角い切り石が積み上げられたのは「中坊」の門があった場所です。中坊は平安時代中期にはすでに記録があり、鎌倉時代以降に増える石清水八幡宮の坊の中でも古くからありました。

現在の社務所のあたりにあった「椿坊」には、平安時代末期の女流歌人で有名な小侍従が住んでいたといられています。小侍従の父は石清水八幡宮第25代別当の光清、姉妹は鳥羽天皇に嫁ぎ、八幡市の地名・美濃山の由来として語られる美濃局。「待つ宵に更けゆく鐘の声聞けば あかぬ別れの鳥はものかは」の和歌は小侍従の代表作です。

 

 

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史跡八幡072 石清水八幡宮 表参道 橘本坊跡

2020年02月09日 15時04分01秒 | 史跡・旧跡

 

橋本坊は足利氏の祈願所でした。足利氏は、平安時代後期に石清水八幡宮社頭で元服し、「八幡太郎」と呼ばれた 源 義家の孫・義康を祖とする武家の名門で、室町幕府を開いた足利尊氏から約240年間のわたり日本を統治しました。

室町幕府3代将軍である足利義満の母、良子は、石清水八幡宮寺の長官を務めた家である「善法律家」の出身であったことからゆかりが深く、足利将軍の多くは生涯に何度も参詣し、放生会(現在の勅祭・石清水祭、9月15日)も執り行いました。橋本坊には世に名高い八幡太郎義家の産衣や甲冑がありましたが、宝暦9年(1759)の火事で焼失し、今は石垣だけが残されています。

 

 

 

 

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まち歩き八幡1158 石清水八幡宮 表参道

2020年02月09日 07時01分36秒 | まち歩き

 

 

 

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