中坊と椿坊の坊跡
神仏習合の宮寺・石清水八幡宮では、江戸時代末まで山内に数々の坊があり、「男山四十八坊」と呼ばれました。
この周辺は「中谷」といわれ、現在の社務所周辺まで、所狭しと坊が建てられていました。明治の初めに神仏分離令によって取り除かれ、現在は石垣を残すだけですが、詳細な絵図が残されており、坊の名前もわかっています。四角い切り石が積み上げられたのは「中坊」の門があった場所です。中坊は平安時代中期にはすでに記録があり、鎌倉時代以降に増える石清水八幡宮の坊の中でも古くからありました。
現在の社務所のあたりにあった「椿坊」には、平安時代末期の女流歌人で有名な小侍従が住んでいたといられています。小侍従の父は石清水八幡宮第25代別当の光清、姉妹は鳥羽天皇に嫁ぎ、八幡市の地名・美濃山の由来として語られる美濃局。「待つ宵に更けゆく鐘の声聞けば あかぬ別れの鳥はものかは」の和歌は小侍従の代表作です。
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