神饌講社列
ご祭神の行列「神幸列」となります。
時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達で、騎馬に白の礼装の御饌長(みけちょう)・副御饌長および水干(すいかん)姿の講員により組織されています。
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神饌講社列
ご祭神の行列「神幸列」となります。
時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達で、騎馬に白の礼装の御饌長(みけちょう)・副御饌長および水干(すいかん)姿の講員により組織されています。
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延暦15年(796)、文官が朝賀の儀式のため参朝する様を表しています。
服装は朝服(ちょうふく)で、身分によって色が定められています。三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑の袍を着用しています。
当時は平安遷都から間もない時期で、まだ奈良時代の服制が受け継がれ、いわゆる唐風が色濃く残されています。
時代祭の全行列が平安神宮に還り着いた時に、代表して三位が大極殿で祭文を奏上します。
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延暦20年、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征を終えて平安京に凱旋する様を表しています。大将の坂上田村麻呂は、きらびやかな金小札(きんこざね)の甲冑に、金作りの直刀を差し、丸木弓を従者に持たせ、木地に漆画をほどこした鞍に赤革の三懸の馬に乗り、従者に矛持、弓持を従えています。
この時代の考証史料は少なく、行装は正倉院御物や古墳の出土品などによって復元、その後の研究成果をもとに逐次改良が加えられています。
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