慶長8年、徳川家康が息女泰誉院とその母上徳院の菩提を弔うために建立したのが上徳寺です。
源融の死後、宇多上皇はここを仙洞御所とされました。のち、僧仁康はここに河原院を建てました。
この地は、かつての平安京河原院跡といわれ、鴨川の水をひき入れた邸内で平安貴族たちが詩歌管弦を楽しむ優雅な王朝絵巻を繰り広げた。そのさまを在原業平や紫式部らが後世に書き残している。
堀内雲鼓 俳人 句碑と墓
日のめぐみうれしからずや夏木立
上徳院殿、雲光院殿 阿茶の局墓所
冠翁 堀内雲皷 墓所
子授け・安産の寺 安産腹帯授与
塩竃山(えんそうざん)と号し、浄土宗に属する。寺伝によれば、慶長8年(1603)に、
徳川家康によって、上徳院殿(阿茶の局)が開基となり、
伝誉蘇生上人を開山に招じて建立した寺といわれる。
寺内に泰栄院の法筺印塔がある。
以後、度重なる災火により、堂宇、塔頭は焼失し、
現在の諸堂は明治時代に再建されたものである。
本堂は、宝暦3年(1753)建立の永観堂の祖師堂を移築したものである。
堂内には、江州矢橋(やばせ)・滋賀県の鞭崎八幡宮から移したといわれる
阿弥陀如来像を安置している。
境内の地蔵堂は、明治4年(1871)に再建され、高さ2メートル余の石地蔵を安置している。
この地蔵は「世継地蔵(よつぎ)」と呼ばれ、
往古から、良い世継ぎが授かるご利益があるとして遠近の人々の信仰を集めている。
また、境内には、江戸時代の冠句の唱導者・堀内雲鼓(1728年没)の句碑及び墓がある。
本堂は宝暦年間に建てた永観堂祖師堂を移築している。
快慶作の阿弥陀如来像を安置している。滋賀県から移したもの。
むかしは男子が生まれないと家督を継ぐことをできなかったから、子のない人は神仏に頼って男子の生まれることを願った。「世継地蔵」はその願いを叶えて下さる地蔵尊として世の信仰をあつめた。
一般には「京の世継さん」の名で知られている。
明治天皇の生母・中山慶子もことのほか本尊をあつく信仰し、明治天皇御生誕のよろこびを得たという。
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