極楽寺 安産地蔵
お産は女性にとって命とりにもなりかねない一大事であり、誰しも安らかに出産することを願う。
この願いをかなえて下さるという信仰から生まれたのが安産地蔵です。
腹帯地蔵や子安地蔵とともに地蔵信仰に占める地位はもっとも大きく、その数も極めて多い。
中でも古くから知られているのは、極楽寺の安産地蔵。
当寺は天文12年(1543)、四条坊門(蛸薬師通)東洞院に創建され、天正18年(1590)、豊臣秀吉の地区整理により現在地に移った。浄土宗の寺です。
地蔵尊は本堂に安置する本尊阿弥陀如来像の右脇壇に祀られている。高さ60cm、一木彫成の立像、古様を帯びている、寺伝によれば、初め摂津の国住吉の井鼻浄光寺という所にあったが、この地に移したという。
源頼朝の室(丹後局)が紀州へおもむく途中、当地蔵尊に祈って島津三郎忠久(薩摩守護職)を生んだと言われ、それより島津家の崇敬をうけ、安産地蔵と称するに至った。ほかに「矢負地蔵」とも呼ばれた。島津忠国(室町初期の守護大名)が参詣に当寺に立ち寄ったとき、敵と間違えられて矢を射かけられたが、地蔵尊が身代わりになって矢を負い、忠国の危難を救ったといわれる。
また、天正年間(1573~92)、迷子になった子供を手引きし、無事家まで送りとどけたという霊験譚から「手引地蔵」とも呼ばれた。江戸時代には洛陽48願所の第46番霊場となったのは、「手引地蔵」としてであった。
他に、「泥足地蔵」、「汗出地蔵」、「染殿地蔵」、「常盤地蔵」、「生六道地蔵」などが知られている
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極楽寺 安産地蔵・矢負地蔵・手引地蔵といわれています
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