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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き下1450 元 六条院小学校 校舎解体中

2020年12月21日 17時49分49秒 | まち歩き

1869年(明治2年)10月26日 - 下京第17番組小学校として開校(間之町五条下ル大津町)。
1871年(明治4年) - 下京第25番小学校と改称。
1872年(明治5年) - 間津小学校と改称する。
1876年(明治9年) - 現在地に移転し、稚松小学校と改称する。

京都市立稚松小学校(きょうとしりつ わかまつしょうがっこう)は、京都府京都市下京区若松町にあった公立小学校。のちに京都市立菊浜小学校と統合され京都市立六条院小学校となったが、2018年12月現在は再度統合され京都市立下京渉成小学校となっている。

稚松小学校の閉校後も一部残されている鉄筋造の校舎は、京都市内で2番目に造られた鉄筋コンクリート製の建物であった。最初の校舎は、1869年明治2年10月26日、間之町五条下ルの大津町の校地に開校した際のもので、瓦葺2階建の木造講堂(28坪)と瓦葺平屋の木造教室(40坪)の2棟が、149坪余の敷地内に建つものであった。現在の校地に新築移転した際の校舎は、瓦葺2階建の木造講堂(以前の講堂を移築)と瓦葺平屋の木造教室(120坪)からなる375坪の敷地を持つ校舎であった。児童数増に伴い、校舎は手狭となり、1885年明治18年2月に教室棟を新築し、2階建てに、その後、1902年明治35年から1911年明治44年の間に、2期に分けて校地の拡張が行われた。結果、校地は671坪余りにまで広がった。

大正になっても、児童数の増加は更に続き、狭小な校舎による不便は解消されなかったため、1923年大正12年、より大規模な改築工事を実施することが決定した(創立50年の記念事業)。翌年8月28日に起工、1925年大正14年7月30日に落成したのが、鉄筋コンクリート造3階建て(地下1階)の本館・教室棟(263坪)である。『わかまつ:稚松小学校百周年記念誌』によれば、古老の話としてこの時のことが紹介されている。稚松校出身で、同志社を卒業し、アメリカ留学の経験もある楠井貫一が大倉商事に入社したため、建築関係のことで校舎の建設に当たった大倉組の活動に寄与した、というものである。同様に古老の話として、新校舎にはコの字型のシャッターが設置され、当時珍しかった防火シャッターを備えた建築であったという。また、建物のモデルにしたのは、大阪の船場小学校の校舎であったということも、語られている。その後、第2期工事で、1929年昭和4年8月10日に鉄骨、鉄筋コンクリート造の平屋建ての講堂棟(98坪)と、鉄筋コンクリート造で2階建ての職員室および作法室(38坪)が完成した。この当時の敷地面積は、885坪であった。これらの校舎は、稚松小学校の閉校後、六条院小学校でも使用され、六条院小学校の閉校後に、本館・教室棟は、その一部を残して解体された。

京都ニュース 2020.12.21

ユネスコ無形文化遺産 伝統建築工匠の技 登録決定

京都市関係では

●  檜皮葺(ひわだぶき)・柿葺(こけらぶき) ⇔ 全国社寺等・屋根工事技術保存会   

  茅葺(かやぶき)・檜皮採取・屋根板製作

● 建造物装飾              ⇔ 社寺建造物美術保存技術協会

● 畳製作                ⇔ 文化財畳保存会

● 装潢(そうこう)修理技術         ⇔ 国宝修理装潢師連盟

      傷んだ古文書や絵画を修理するエキスパートの『装潢師』ふすまやびょうぶ、古墳壁画もする。

番組小学校 関連記事 ⇒ まとめ041 番組小学校

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まち歩き下1449  珍しい!  マンホールの二重蓋

2020年12月21日 14時51分02秒 | まち歩き

 

蓋が2つ しかも小さい方は中心からずれている

京都ニュース  コロナ禍の初もうで  2020.12.20 感染者数 京都府63人(京都市47人)

過去の初もうでの人出 (京都府警調査)

伏見稲荷大社 2780000 人(2013年)

八坂神社   1040000 人

北野天満宮    695000 人

平安神宮     510000 人

石清水八幡宮  96000 人

年内から縁起物を授与する神社もある。北野天満宮では12月31日から1月7日までの臨時の巫女を務める女性は120人。

芸の奉納行事や参拝者接待を中止する神社もある。平安神宮の能、下鴨神社の謡曲、上賀茂神社の舞楽。その外 甘酒やぜんざい、かす汁などの接待は大半の神社が取りやめる。

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まち歩き下1448 京の通り・富小路通 No101 花屋町下ル 唐物町

2020年12月21日 07時32分00秒 | まち歩き

 

 

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まち歩き下1447 京の通り・富小路通 No100 寺院下0749 萬年寺

2020年12月20日 17時39分32秒 | まち歩き

 

関連記事 ⇒ 石鳥居・萬年寺  188基

       萬年寺  西山浄土宗

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寺院 前回の記事 ⇒ まち歩き下1445 京の通り・富小路通 No98 寺院下0748 長講堂

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まち歩き下1446 京の通り・富小路通 No99 六条通

2020年12月20日 14時58分40秒 | まち歩き

南方向を 見る 正面に京都タワーが見える

北方向、北東方向を見る

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まち歩き下1445 京の通り・富小路通 No98 寺院下0748 長講堂

2020年12月20日 06時05分10秒 | まち歩き

 

 

平安時代末期の寿永2年(1183)に、後白河法皇(1127~1192)が晩年過ごした

院御所「六条殿」内に建立した持仏堂が当寺の起こりである。

後白河天皇は、譲位して上皇となってからも30余年にわたって院政を行い、

嘉応元年(1169)には仏門に入り法皇となった。

長講堂は正式には「法華長講弥陀三昧堂」といい、

法華経を長期間講じ、阿弥陀仏を念じて精神集中の境地に入る道場という意味がある。

後白河法皇は莫大な寺領を長講堂に寄進してその経済的基礎を築いたが、

没する直前に、長講堂とその所領を寵愛してした丹後局の子宣陽門院覲子内親王に譲った。

法皇自ら死者の名を書き入れたという過去帳には、白拍子の祇王・祇女やその母と、

仏御前のほか義経らしき人物の名もきされています。

その後、第89代後深草天皇に譲与され、以降、いわゆる持明院統によって相続された。

もとは、六条西洞院にあったが、度重なる火災のため転々と寺地を変え、

天正6年(1578)に豊臣秀吉によって現在地に移された。

本堂には後白河法皇の臨終仏である本尊の阿弥陀三尊像(重要文化財)が祀られ、

御影堂には毎年4月13日の法皇忌にのみ公開される。

江戸初期に作られた後白河法皇坐像(重要文化財)が安置されている。

明暦4年(1658)七条仏師法眼康知作の墨書銘がある。

関連記事 ➡ 後白河天皇法住寺陵  平清盛や木曽義仲、源頼朝を翻弄

      高松神明神社  平清盛・源義朝が保元の乱のときに集まった陣地

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まち歩き1444 植物園内の彫刻  「風と舞う」 江里 敏明

2020年12月19日 16時49分48秒 | まち歩き

 

植物園の彫刻

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まち歩き左1443 植物園の彫刻 「岐路」(1969)阿部正基

2020年12月19日 11時22分46秒 | まち歩き

阿部正基《岐路》(1969)

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1442 植物園内の彫刻像  「向ふ」

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まち歩き左1442 植物園内の彫刻像  「向ふ」

2020年12月18日 17時31分26秒 | まち歩き

松田尚之 作

 

彫刻 前回の記事 ⇒ まち歩き左1418 植物園の彫刻 「歓びと期待」 山崎 正義

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