カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

風呂との戦い

2013-02-08 | culture

 特に風呂好きという訳では無かったはずだが、風呂につかるのは気持ちがいいものだ。温泉宿という響きも銭湯という響きも耽美だ。自宅を建て替えた時、真新しい風呂に入った時の感動は忘れられない。これが自分の家だということをしみじみと嬉しく思った。何故風呂でそう思ったのかはよく分からないが、とにかくそう思った。僕は自宅の風呂を愛しているのかもしれない。
 風呂に入る前にシャワーを浴びるのだが、シャワーのお湯が温かくなるまでは出しっぱなしで突っ立っている。この時間がもったいないので、先に歯を磨くことにしている。つま先に飛沫がかかるが、段々温かくなるのを感じながら歯を磨く。湯気が立ちあがるくらいになっておもむろに風呂椅子に座り、さらに歯を磨き続ける。歯磨きが特に好きな訳じゃないけれど、せっかく磨きだしたものをそう簡単にやめるわけにはいかない。口の中が適当に血だらけになるまで磨いて、いよいよシャンプーという手順に移る。特に詳しく記述しても仕方ないが、そうやって体を洗い終わるまでが待ち遠しいので、風呂に入る作法の中で、体を洗うというのが特に好きな訳では無いらしい。目的はバスタブにつかること。その楽しみのためのじらし行動みたいなものかもしれない。
 そうしてやっと風呂につかるという行動になる。つかる前には壁の操作盤のようなものに顔を近づけて時間を見る。僕は基本的に5分つかると決めている。ボクサーはリングで練習している時も、3分という時間を意識しているらしい。僕は浴槽で5分の意識で戦っているつもりになる。何のために闘うのかはよく分からないが、ゆっくりしているけれど戦っている。風呂につかるというのはそういう行為と受け止めている。
 5分と思った時間に時計に目をやると、大抵まだ3・4分だったりする。その度に、ああ、俺もまだまだだな、と思う。本当にちょうど5分という時もあるにはあるが、やはりめったにあるものではない。戦う相手として風呂というのはそれくらい手ごわいのである。時々延長して7~10分もつかる時があるが、それはよっぽど体調がいい時かもしれない。もしくは風呂の温度がたんにあがりにくい時かもしれない。設定は43度だが、ちょうどぬるい時間帯というのがあるようだ。最初から追い炊きモードに入っていてそれなりに熱い時の戦いほど燃えるものである。戦い抜いた充実感で湯から立ち上がる時は、風呂に入った満足感とともに自分自身に対して誇りを感じる。
 時間を計るようになったのは、子供の頃に100数えさせられた事と関係があるかもしれない。父からは100数えるまであがってはならないと言われた気がする。子供なりに苦痛だったが、しかしその時から風呂に対する闘争心が芽生えたのかもしれない。一人で入るようになって、そのような習慣はいつの間にか忘れてしまっていた。そうすると自然にカラスの行水のような事になってしまった。適当に熱くなると飛び出したくなる。ある時これではいかんと何故だか感じて、風呂とは戦う姿勢を明確に意識しなおしたという訳だ。
 当たり前だが5分程度もつかるようになると、いつまでもポカポカと温かい。つまり、風呂あがりもしばらくは楽しめるという寸法である。これが体にいいのかどうかは良く知らない。しばらく裸でウロウロするのは見栄えが良くないというだけのことで、しかしだから僕は年中風邪をこじらせているのかもしれないな、ということは注意が必要かもしれないのだった。
コメント
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