出来れば人前で話なんかはこれっぽっちもやりたくないが、浮世にあって逃げてばかりもいられない。仕方がないがせっかく話す段になると、やはり話し手の欲というものが出る。話を聞いてもらいたいという欲もあるが、さらにウケたいということもある訳だ。職業じゃないから必ずしもウケる必要もないとも言えるが、一度ならずとも聴衆が笑うと、話甲斐があるというか、聴衆以上に話し手は気分がいいものである。芸人に憧れる気持ちというのは、そういうことの憧れもあるのではないか。
ところがやはりウケる話というのはあんがいむつかしいもので、狙ったとおりというのはなかなか出来るものではない。最初から笑ってやろうと思って聞いている訳でもない人を、思わず笑わせてしまうのというのは、それなりのハードルがあるものである。
面白いと思って仕込んで行っても、ぜんぜん駄目というのはそれなりに凹む。あんまり続くと闘志が萎えて、チャレンジすらしなくなってしまうものだ。そうなるとひたすらお互いに面白くない。諦めることを早まってはならないかもしれない。
そうではあるが、思ってもみなかったウケが取れるというのもあるようだ。言い間違えでもウケる場合があるし(これはあんまり歓迎できないが)、ウケを期待しないで思わず出てしまった言葉が生きる場合もある。素人はこれでも結果オーライということがあって、終わってみるとそれなりの満足感で終えられるということもあるようだ。ウケるのは、あくまで自分の精神衛生上よろしいのである。
先日あるコントを観ていたら、楽屋裏での反省会というのがあって、小倉久寛という人が出て来ただけでウケたのが誤算だった、という話をしていた。団長風の三宅祐司が小倉に向かって「もっとつまんなく出てこいよ」と叱っていた。
その話自体は面白かったのだが、面白いコントを演じているにもかかわらず、ウケたら駄目だというのがさらに面白い訳だ。なるほどそれは素人とは違うということか。
ウケる容姿だとか、雰囲気だとか、そういうものを持っているというのは芸人さんにとっては武器であるとは思う。しかし同時にそれがあだになることもある訳だ。
普段はウケようと思って話しているといったが、考えてみると普通にウケないというのは才能かもしれない。ウケたく無くてもウケてしまう人の事を思うと、楽してウケ無いのだから儲けものなのかもしれない。