相変わらず北朝鮮という国は面白いことをやってるな、ということが続いた。不思議なことにこれが現実だということに、良く考えてみても普通に現実感が無い。「(日本は)そっくり焦土化され、水葬されなければならない」んだそうだ。普通ならばお笑いで「ぷ」っというくらいは声が出てもいい感じかもしれないが、そんな面白ささえ感じない。もう飽きたというか、ああ、そうですかという返答さえする気になれないということか。
しかしながら米国は反応が違う。挑発するコメディ映画を作り、配給会社がサイバー攻撃を受け、上映が一時中止した。もちろんそれなりに打撃があったことは確かだし、実際にテロを警戒したということもあろう。そういう対応に対してオバマ大統領はじめ多くの世論は、逆にテロに屈する態度として配給会社を非難する。さらに大統領は、北朝鮮の攻撃と断定し映画公開を妨害したことによる被害額を賠償するように請求した。これもなんだか実は滑稽な感じもするんだが、当然北は猛反発している。米国からの報復攻撃かは不明だが、北朝鮮のサイトは一時ダウンし、サイバー攻撃の応酬は激しくなされているのかもしれない。
作られた映画は北朝鮮の金正恩の暗殺を描いたコメディだというが、映画を観てないので比較しようが無いけれど、既に映画よりも十分に皮肉の利いたブラック・コメディが現実に展開されているということだ。日本には拉致被害者がいるという現実感があるから素直にこういう映画がコメディであるというのは少し悪趣味に思えるのだが、しかし米国の当初の予定ではクリスマス前からの公開だったことを考えると、これでこのハッピーな時期に十分観客が楽しめる映画と考えていたに違いない。現実の北朝鮮が面白すぎるので、そういう悪ノリであっても十分支持が得られ、採算が取れるという計算が合ったと思われる。さらにこのような大々的な宣伝が奇しくも宣伝費を使わずともなされたわけだから、限られた公開から始まった上映であっても、将来的にはそれなりに期待のもてる興行になるのではなかろうか。これが計算されたものではないだろうけれど、さらに滑稽な現象といわざるを得ない。北としてはますます怒りが増すだろうし、米国民はますます笑顔になるという図式が完全に成立している。
もちろんこれが滑稽なままなのは、北や米国のまじめな対応であるのだけれど、しかしことが本当に大事になりようがないという安心感だろう。北が本当にミサイルを発射したとしても、どこの海に落ちるにしても、たぶんまだ笑顔が消えそうにない。本当に誰かの血が流れるまで、面白さが消えないのである。
しかし繰り返すが、これは映画でなく現実の出来事だ。北朝鮮は見事に馬鹿げた滑稽さを持っていることは事実だが、少なからぬ命を簡単に消すことができることも事実なのだ。私たちが感じる滑稽感というのは、このようなまじめな感情のバランスの上に、なんとアンバランスに乗っかっていることだろうか。北の暴発を期待しているわけではないが、そうなってもかまわない準備が、本当に備わっているのだろうか。