カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

謝るのをやめよう

2015-06-19 | net & 社会

 ちょっと前にコンビニなどの店員に土下座をさせて、その画像をネットに挙げたことで逆に批判を浴び、逮捕されたような人が出たというニュースがあった。大変に卑劣な行為だから当然だと思うが、これはしかし恐らく氷山の一角で、日本中では類似の事件がそれなりにたくさんあるのではないか。単なるクレーマーの恐怖という図式があるにせよ、実際に街中において、時折しつこいクレームに怒る人を見ないではない。たいていは一定のところで引き下がっているとは思うが、店に落ち度はあろうにしても、難しい時代になったものだという感慨はある。
 僕が目にするのはほとんどは外食で、レジでいつまでも何か言っている人という感じだ。いわゆるヤクザな人ということではなくて、還暦くらいの年配の人が多いような印象はある。何か頼んでいたものが来なかったとか、店員の態度の件などのようなことだ。言っておくべきという考えで言っておられるようだけれど、なかなかしつこい感じであった。まあ不快な思いをして注意をすること自体は、性格もあろうから言う人と言わない人に分かれるだけのことかもしれないが、つまるところ引き際や落としどころということがいえて、クレームをつけるから即悪いことではない。それはそれなりに昔からクレームというのは当然あるだろうけれど、クレームの人が尊大になりつつあるというのは、単に印象に過ぎないのだろうか。
 ところでやはりそのようなクレームをつけている客に「もうできたら今後来ないでくれ」ということをいう店長という人がブログを書いているのを読んだ。自分でフランチャイズで店を持った人らしく、そのように困る客が減った方が店の利益であるし、素直にそういってもそういう人はどういう訳かまたやってきたりすると書いてあった。なかなかいい意見だと思ったが、例えばバイト君だったりすると、それはなかなか難しいだろう。
 しかしながらこれもドラマか何かだったが、行きつけのコンビニの店員がいじめっ子のバイトになっており、買い物をすると脅されたりする。そうしてお前は買いに来るな、とさらに脅される。一番便利な店なのに困ってしまうということのようだった。これは狭い社会の事だから可能なのだろうが、少し考えさせられた。
 ところで度を越えたクレーマーに対しては、警察の協力を仰ぐなど、それなりに対策などマニュアルを練る動きも出ているようだ。心の病気になるような重篤なものがあるようで、少し極端だが、やはりそれなりに怖い印象だ。クレームについてはある程度落ち度のようなところに付け込まれるということもあって、何とかその場を逃げたいとか、どうしても自分の裁量を超えた謝罪要求に応えられないということが大きい。恐らくもう謝らなくてもいいということの方が重要で、悪いから謝るという行為の限界を示しているのではないか。たとえば殺人などのような犯罪であっても、人によっては謝罪はしないし、しかし求めに応じて謝罪する人はいるだろう。でもそれでそもそも許されることなのかは不明だし、本当に意味があるのかは不明だ。殺人のような凶悪犯罪はともかくだが、罪にもならない過ちに対して、日本社会は謝ることをやめるべきなのではないかということまで考えてしまうのだが、やはりそれは極端すぎる反応の一種なのだろうか。
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