アクト・オブ・キリング/ジョシュア・オッペンハイマー監督
話題の映画だったんで、いつかは観なくては、と思っていた。あまりにも話題になってしまっているので内容は事前に知っていたんだけど、思った以上に芸術的だったし、それに非常にお話が分かりやすい展開になっていて、まずはそういうことに驚いてしまった。これって本当にドキュメンタリーなんだろうか?
僕でもそう思うくらいだから、たぶんそう思った人も多かったと思うが、真相はよく知らない。でもまあ、ちょっとやらせは入っている感じがどうしてもしてしまう。被害者が加害者に対してあまりにも無頓着だし、そもそも悪いことをしたとは思っていなかったとしても、表に出る以上、何らかの葛藤があってよさそうなものだ。アジアの人間を多少誇張してバカにしている感じもする。要するにこの映画の視点というのは、あまりにも西洋人的な価値観に裏付けられている感じなのだ。それはたぶん彼らの偏見だし、彼らは彼らの視点でしか物事を見ることができないので、自然にインドネシアのヤクザな虐殺者をだまして誘導し、映画を作るというウソをついて、ドキュメンタリーをでっち上げてしまう。これが事実だとしても、つまるところそういう映画が撮られるという計算が成り立つという背景が見え隠れする。それはショッキングに面白いネタであるという確信があってのことだろう。
もちろんそういう視点は面白いものだが、だましの文化とアジアの正直さというのは、そもそもこのようなずれがあって当然である。たとえば東京裁判やニュンベルク裁判のようなドキュメンタリーを観て思うのは、われわれ敗戦国の人間からすると、ずいぶんやらせや欺瞞だらけに見えるのに、恐らくそのことに無頓着に撮られているらしいことに気づかされる。悪い人を裁いて悪びれていない残酷さを感じるからだ。罪を犯したと断罪される人間は、単に敵として戦った側であるに過ぎない。本当に罪を犯したからではなくて、負けたから裁かれているのだけれど、それでは都合が悪いので、不正直で滑稽な人々としてフィルムに収めるしかなかったということだろう。
そういう視点が最初からなければ撮られなかっただろうけれど、やはりこれがウケると踏んで実行に移すからこそ、名作と言われるドキュメンタリーは誕生する。少し内容的には違うらしいが、続編も撮られたといわれている。なんだか、やっぱりね、という気もする。そうしてやっぱり、日本は戦争に負けるはずだよな、と思ったりもする。それは僕のようなアジアの偏見でなければいいのだけれど…。