カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

母の強さの源泉

2016-11-27 | 感涙記

 先日内村周子さんという人の講演を聞いた。内村航平選手の母親ということくらいは僕でも知っているが(というか事前にそういう話を聞いていたから)、実物のお姿を見たことは無かった。オリンピックもニュースでしか見ないですし。でもまあ、ひょっとするとロンドンの時は見たかもな、という感じだろうか。演台に立たれる姿は、かなり小さい人のようだった。
 いろいろ面白かったのだが、全体的に言って、母親としての思いというのは、これほど強烈なのだな、というのがよく伝わってきた。会場にはどちらかというと年長男性の方が多かったのだが、それでも何人か混ざって聞いておられた母親経験世代の女性たちの拍手も凄まじかった。要するに賛同するというか共感するというか、そのような気持ちが良く伝わっていたということなんだろう。
 もちろんそのことについては僕もよく理解できたとは思うのだけれど、しかしやはり、越えられない思いの強さのようなものがあるらしいな、とも感じた。それというのも一言でいうと、子供のことは自分が誰よりも強くいつだって一番に考えているという疑いのない考え方かもしれない。それは確かに事実らしく思えるし、それが悪いとは言わないまでも、やはりそれは自分には経験できないというか、恐らく実感しえない感情なのではないかと思った訳だ。子を思う気持ちや、恋愛などの感情というものは、同じく持ち合わせているに違いないのに、それが一番であるような意識は、特に持てないような気もする。いや、間違いなく強いもので、時には一番である時だってあるはずだと思うのだが、そのことに何の疑いも無いような純粋な一番さというものとは、やはり違うように思う。そうしてそのような思いが、多くの母親がそれぞれに持っているのだとすると、それは有難かったり尊かったり素晴らしかったりするとはいえ、正直に言って、少し恐ろしい。
 しかしながらお話は、それなりに洗練されて面白さを伝える術を分かっているとも感じた訳で、メタ視力としての自分の考えが分からない人ではないのではないかとも思った。それは一種の芸ともいえるものではないか。少なくとも自分に正直な生き方そのものは、大変に力づけられるものだったな、と思ったことだった。
コメント
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