アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド/マリア・シュラーダー監督
その人をしあわせにするためだけに作られた(プログラムされた)アンドロイドの体験をすることになった女性研究者だったが、実はそういう実験に参加させられているだけで、本当に乗り気じゃない。アンドロイドに対しても偏見が多くあって、まったく信用してもいない。さらに一般的な女性の望む男性像に失望もしていて、このボブというなかなかいい感じのアンドロイドに対して、嫌悪さえ抱いていたかもしれない。しかし共に過ごす時間が増えるにしたがって、リアルな人間関係も相まって、いろいろと考えることになっていくのだった。
この女性にあったアンドロイドの男のボブは、ちょっと風変わりなところが無いでは無いが、献身的でユーモアがあり忍耐強いいい男なのである。あえてアンドロイドだと人に伝えない限り、まずアンドロイドであることさえ分からない。思考の単純さのようなものがあって、あえてそういう感じでアンドロイドらしさを演出しているけれど、おそらく世界のコンピュータとも連動しており、知能としてもはるかに人間を凌駕している。事実研究者の女性が3年にも渡ってチームを組んで取り組んでいる論文が、既に他国の研究者によって発表されたばかりだ、という情報を瞬時に教えてくれるのである。その為に女性は激しく動揺するが、そういう中でボブは八つ当たりを受けながらも、静かに耐え忍んで、しかし小さな抵抗はする。
相手は確かにアンドロイドである。しかしこれは、やはり恋愛なのである。相手のことをわかろうと努力はするものの、どうしてもすれ違うものがある。時にはそれが大きな喧嘩にもなる。そうしたすれ違いを埋めるものは何なのか。それはお互いに過ごした過去の時間のその記憶と、そのことを今どう考えるのか、ということなのかもしれない。
考えてみるとそれなりに恐ろしさも感じるのだけれど、今や純愛なんて、相手がアンドロイドだからこそできるような時代に、人によってはなるのかもしれない。そうしておそらく人間としては、その方がずっと充実した幸福な時間が、増えるはずなのである。コメディだが、そういうあたりまで考えさせてくれる良作であろう。