京都新聞の「古民家探訪」の記事に、坂本の公人屋敷(旧岡本邸)の記事がありました
公人屋敷(くにん)屋敷ってなんの屋敷?
坂本は、古くから、比叡山延暦寺の門前町として栄えていたところです。
江戸時代から、多くの里坊( 引退した比叡山延暦寺僧侶の隠居所) が多く作られる
ようになりました。
延暦寺の僧侶でありながら、妻帯と名字帯刀が認められた「公人」と呼ばれた人々は
治安維持や年貢・諸役を収納する、寺務を勤めていました。
坂本は、江戸幕府から延暦寺に寺領として寄進されていたので、幕府や大名からの
直接的な支配を受けなかったので、延暦寺独特の行政が、行われたとのことです。
旧岡本家を所有していた当主が、2001年に大津市に寄贈し、市が修復し、
現在は、一般公開がされています。
公人屋敷(くにん)屋敷の文字をクリックするとホームページにリンク出来ます。

公人屋敷(くにん)屋敷の門

石垣の塀と漆喰の壁が、落ち着いた門前町らしい趣に、ふさわしい屋敷がまえ

玄関

土間 台所

庭

蔵はねずみの被害対策のため、一段高い所に建ってあり、外側を漆喰で塗りかため
内側にも、柱を荒縄で巻くなどして、すべて中塗してあります。
延暦寺からの預かりものの年具米を大切に保存することも、公人の重要な仕事であった。

馬屋
近くの滋賀院門跡などに挨拶に訪れる、上級武士の馬を預かる施設

150年前に修復か新築された建物 (1864年)
主屋は切り妻作りの瓦葺き、木造2階建て、延約350平方㎡

鎧が展示されていた

子供の日にちなんだのでしょうか? 鎧が展示されていた。

居間から土間を望む

居間には、その当時の着物が展示されていた

九つの座敷がある

隣の家 門前町の面影を残す家が所々に残っています
公人屋敷(くにん)屋敷ってなんの屋敷?
坂本は、古くから、比叡山延暦寺の門前町として栄えていたところです。
江戸時代から、多くの里坊( 引退した比叡山延暦寺僧侶の隠居所) が多く作られる
ようになりました。
延暦寺の僧侶でありながら、妻帯と名字帯刀が認められた「公人」と呼ばれた人々は
治安維持や年貢・諸役を収納する、寺務を勤めていました。
坂本は、江戸幕府から延暦寺に寺領として寄進されていたので、幕府や大名からの
直接的な支配を受けなかったので、延暦寺独特の行政が、行われたとのことです。
旧岡本家を所有していた当主が、2001年に大津市に寄贈し、市が修復し、
現在は、一般公開がされています。
公人屋敷(くにん)屋敷の文字をクリックするとホームページにリンク出来ます。

公人屋敷(くにん)屋敷の門

石垣の塀と漆喰の壁が、落ち着いた門前町らしい趣に、ふさわしい屋敷がまえ

玄関

土間 台所

庭

蔵はねずみの被害対策のため、一段高い所に建ってあり、外側を漆喰で塗りかため
内側にも、柱を荒縄で巻くなどして、すべて中塗してあります。
延暦寺からの預かりものの年具米を大切に保存することも、公人の重要な仕事であった。

馬屋
近くの滋賀院門跡などに挨拶に訪れる、上級武士の馬を預かる施設

150年前に修復か新築された建物 (1864年)
主屋は切り妻作りの瓦葺き、木造2階建て、延約350平方㎡

鎧が展示されていた

子供の日にちなんだのでしょうか? 鎧が展示されていた。

居間から土間を望む

居間には、その当時の着物が展示されていた

九つの座敷がある

隣の家 門前町の面影を残す家が所々に残っています