小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二日目1 86番志度寺

2016-10-30 | 四国遍路
二日目 1

05;00  起床
06;00  朝食
07;30  大川本社前  バス
08;00  志度寺
09;20  琴電 志度駅
09;40  八栗駅
09;45  ケーブル乗
09;50  八栗寺
10;45  ケーブル降
11;25  八栗駅
11;36  屋島駅
11;45  シャトルバス
12;00  屋島寺
13;05  バス→八栗駅
13;25  八栗駅→瓦町駅
14;00  昼食
15;20  瓦町→一宮
16;00  一宮寺
16;45  保養センターきらら
18;30  さぬき一番
21;30  就寝

目覚めると晴天だった。よかった。
朝食の写真は撮り忘れ。納豆、卵、味噌汁、魚切り身、つけもの…。
コミュニティバスで昨日降り立った志度駅へ行く。

86番 補陀洛山 志度寺
ご詠歌  いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りの声を耳に触れつつ



寺の起こりは88寺中で一番古く飛鳥時代に一人の尼が建てた小さな御堂から始まった。その後、天武天皇時代に藤原不比等が妻の墓をここに建て御堂を広げ「死度道場」という道場を作り、その子の房前がが母の菩提を祈って講堂を再興して寺の名前を「志度寺」と代えた。死度の意味は「志度の海辺は極楽浄土に続いている」というもの。境内にはその頃作られた曲水式庭園も残っている。



なるほど、このお寺は弘法大師の手を煩わせることなく戦国時代の荒廃からから立ち直って現代まで賑わいを見せているのか。
讃岐ではどのお寺の山門にもわらじが仁王さまと同じくらいのおおきさで並んでいるが歩いて巡礼するにはもっとも大事な物だったのだと再確認させられた。





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