小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

4日目1 71番弥谷寺、70番本山寺、

2016-11-03 | 四国遍路

4時半起床。5時半から朝の勤行に参加。
大勢のの僧侶が並ぶ中で説話?をされた。これは当番制なのだろうか。最大200名収容施設なので満杯の時はぎっしりになるのだろう。お話の趣旨はストレスとスポーツの関連とトイレの変遷についてだった。写真を撮ったら叱られた。
それから朝食を戴き、タクシーを呼んでもらった。
7時半に出発して15分ほどで弥谷山入口に到着。JRで廻れば数時間かかるところが15分で着くとは!
しかし、そこからが大変だった。
この札所は本堂まで540段ある難所で中腹(378段・大師堂)までの送迎バスが運行されていた。マイクロバスの折り返し運行だ。往復750円。拡幅工事が行われていたが峻険な細い道で乗っていても恐ろしかった。運転手さんってすごい。
山の中のバス乗り場はおしゃれな建物で売店もあって休憩所にもなっていた。
ここにザックを置かせて貰ったので嬉しかった。

71番 剣五山 弥谷寺
 ご詠歌 悪人と行き連れなんも弥谷寺 ただかりそめも良き友ぞよき

標高382メートルの弥谷山の中腹にある。恐山、臼杵磨崖仏とともに日本三大霊場の一つだ。
 はじまりは1300年前、蔓延した天然痘降伏の為に行基が堂宇を建立し、聖武天皇の勅願により、皇后光明子書写の大方広仏華厳経を奉納し蓮華院八国寺を創建したもの。その後、唐から帰国した大師が獅子窟にて護摩を修し、蔵王権現のお告げにより、五柄の剣と唐で師の恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴を納め、山号を剣五山、寺名を弥谷寺(「仏教では仏の住む山を弥山(みせん)と呼び、弥谷は仏の谷という意味とされる」)に改めた。

   
      

 
古来より人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山と呼び信仰の対象としたとされ、この信仰は、お遍路の元となったともいわれ、弥谷山では、『水場の洞窟が仏の住む世界への入口とされ特別強く信仰された』とされ霊山信仰を持った修験者により刻まれた摩崖仏が今も多く点在している。
 首から上の病にご利益があるといわれている。獅子之岩屋に向かう途中の大師堂内から参拝でき、座って岩壁の10㍍上方を見上げないと姿を見る事ができない石仏のお地蔵様。かっては洞ノ薬師と洞ノ地蔵もあったが、現在は洞地蔵のみ参拝する事ができる。

バスを降りると道なりに石段や坂道が続いていて本堂へは分かりやすいが、少々きつかった。途中におおきな宿があったがここも廃業していて勿体ない。なにしろ深い木々に囲まれてどこからか水音が聞こえてくるような所である。
紅葉の頃はさぞかしと思われた。









珍しく靴を脱いで本堂にあがる。洞窟の中に入る感じ。
大師は7歳から12歳の頃にもここで修行に励んだということで、そこは大師堂奥の洞窟で獅子が咆哮しているように見えるので「獅子之岩屋」と呼ばれている。淡い照明に浮かび上がったそれは永遠の時の流れを感じさせられる美しさ。
また、本堂の下の水場の横の洞窟の大師が彫ったという「阿弥陀三尊」の磨崖仏は疲れを癒やしてくれる素晴らしさだった。
お線香を買ったらミサンガがついてきた。また行きたい札所。
マイクロバスで降りて、さて。結局タクシーに来て貰ってJRの「みの駅」まで行った。目指す本山寺は三つ
目の駅から歩ける距離にある。

予讃線「みの駅」は無人駅だった。9:28発で三つ目の本山寺駅着が9:48。単線の上特急通過待ちのためこんなに時間がかかるのだ。おまけに本数も少ない。車が普及したからか電車が不便だからか公共の乗り物は廃れるばかりだ。寂しく哀しい。この駅のトイレは最低で我慢して歩き出すしかなかった。
数軒の閉まった店から住宅街の一本道を行く。突き当たって右折し更に行く。平坦でまっすぐな道もしんどいものだ。
地図では徒歩15分とあり実際は17分ほどで到着したのに実感は30分ほど。目印の五重塔が見えないまま山門に着いた。観光バスが止まっていた。

70番 七宝山 本山寺
 ご詠歌 本山に誰か植えける花なれや 春こそ手折れたむけにぞなる
本山は標高390メートルの山でこの周辺の地名になっている。この札所も創建時には長福寺だったが後に改名された。四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。
平城天皇の勅願によって弘法大師が創建した。四国札所では唯一の馬頭観世音が本尊で境内には二頭の馬の銅像がある。馬が盛んに草を食べるように人間の喜怒哀楽をなくしてくれるという。阿弥陀如来と薬師如来が脇侍。
長宗我部軍が押し入ってきた折、住職が斬られた時に本堂の阿弥陀如来の右手から血がしたたり落ちたのを見て驚いた兵達が撤退したので本山は兵火に見舞われなかったという。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれている。
目印の五重塔は修復工事中で覆いがかかっていた。塔の九輪や金具などが境内に展示されている。工事が終わるときに使用されるのだろうがさすがに歴史を感じさせられた。馬の像も躍動感があって素晴らしかった。

    


さて、ここからが問題。本山駅まで戻ってJRで次を目指す予定だったのだが同行のSさんが誰かに聞いて次の札所までのコミュニティバスで行こうと言い出した。バス停までがかなりあった。一休みしたくてもそれらしき店もなく大きなスーパーはあったけどかなり遠い。やっとその豊中庁舎前(市役所の支所)というバス停に着いたが50分も待たなければならなかった。屋根もなく暑い。
お隣が福祉関係の建物らしくなにかイベントがあったのだろう。大きな風呂敷包み(豪華弁当)とペットボトルのお茶を持ったお年寄りが次々と出てきて迎えに来てくれた家族の車に乗って去って行った。ちょっと恨めしかった。

      


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