小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

四日目4 67番大興寺

2016-11-08 | 四国遍路

67番 小松尾山 大興寺
 ご詠歌 植えおきし小松尾寺を眺むれば 法の教えの風ぞ吹きぬる
大興寺は、同じ境内に真言宗と天台宗の異なる宗派の大師堂が並ぶ非常に珍しい札所だ。東大寺に末寺として742年ごろに建立され、最澄の影響で天台宗になったとされている。境内からは奈良時代の遺物が発見されている。





後に、火災で焼失後に弘法大師が嵯峨天皇の勅願で再建した。 その為、異なる宗派の大師堂が存在する珍しい札所となっている。 天正の兵火で焼失し、江戸時代に再建されたものが現在の姿となった。 境内の見所 ・仁王門の金剛力士像は、高さ3mで四国最大で運慶の作と言われている。 ・石階段横に、弘法大師が植えたとされる樹齢1200年の楠の木がある。
一帯は小松尾という集落で地元では「小松尾寺」と呼ばれて親しまれていた。
最盛期には七堂伽藍をもち真言宗24坊天台宗12坊が軒を連ねた大寺であった。
山門の近くに大師が種を蒔いた樹齢1200年になるカヤの木と楠が立っている。





もう投宿手続きを済ませているのでゆっくりと参拝できた。先を急ぐ遍路さんたちでかなり賑わっていた。気持ちの余裕というものも大事だと思った。裏の方に小さなお社が二つ。誰もいない。静かだ。山中の小道のようなものが続いていたので進んでいくとなんと民宿のプールに出た。こんなに近かったんだとびっくりした。
夕飯は二階のホール。上がってその昭和レトロなダンス会場の趣きに驚いた。なんでも、ご主人のお兄さんが始めた民宿で界隈の社交場のような役目をしていたらしい。そのお兄さんが脳梗塞で急逝してしまい、以来夫婦でいつ止めようかと言いながら7年も8年も経ってしまっているという。部屋は広々としていたが間に襖を入れて二間に使えるようになっている。当時はさぞ賑わっていたのだろう。
同宿者は3名の男性。もうすぐ結願の横浜からの歩き遍路さん、茨城からのバイクで順打ちの人、歩き順打ちの人(無口)。遍路宿の良い点はこうした束の間のふれあいにもある。
それにしても、ここの奥さんは一人でよく切り回している者だと感心するばかりだ。夜にはご主人の車でバス停まで行ってバスの時間まで調べに行ってくれたらしい。感謝です。近くの民宿はすでに廃業されていてこの宿がなかったら遍路はほんとに困るのだ。どうぞお元気で宿を続けて下さい。



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