嘉永というのは1848年から1854年までの期間の元号です。この時代の天皇は孝明天皇。
黒船の来航以来、伝統の存続を願いながら開国という状況に直面して困難な選択を強いられ続けた天皇です。
倒幕、攘夷、桜田門の変などの嵐の中で三十八才の若さで急逝。嘉永は七年で終わりました。
一方、江戸幕府将軍は十二代目の徳川家慶。天保八年に将軍職に就任したものの、先代で父である家斉が政治の実権を放さなかったので失意にの日々を過ごしていましたが、家斉の死後は天保の改革を行ったり、内憂外患の危機打開を図る努力をしたのです。
が、ペリー来航の慌ただしさの中で六十才で亡くなりました。政治の混乱を避ける為にその死は長く隠されていたのですが、やがて五ヶ月後に息子の家定が十三代将軍となりました。家定は病弱、癇癪持ちとされていて政治には殆ど関わらなかったらしいです。
佐久間象山、高野長英、水野忠邦、ジョン万次郎、島津斉彬、徳川斉昭らの名前が日本史の教科書にでてくる頃です。
「嘉永時代」は日本が大きく変わる先鞭の時代だったといえましょう。
江戸からは遠いとはいえ、紀州藩は御三家の一つですし、海に面しております。そんなことから情報が入ることも多く、海の警固問題もあり城内にはいつも緊張感が漂っていました。
どんな世の中であっても女は衣食住の采配をしなければなりません。
親戚、近所つきあいも女の仕事。
国というのは一人一人の人間があってのことですし。
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