七時に外に出るとタクシーが待っていた。
八時間で回れる札所を詣って善通寺に送って貰う予定。35000円の契約。申し込んだ時に先達さんは断った。自由に廻りたかったからだ。
(先達さんとは巡拝案内、おつとめの導師などを勤められる方。先達、中先達、大先達、特任先達、特任権中先達、特任中先達、特任権大先達、特任大先達があり、一度巡拝された方は先達に、先達として二度巡拝された方は中先達に、中先達として三度巡拝された方は大先達に申請することが出来るそうだ)
運転手のTさんも先達の資格をもってるそうだ。遍路タクシーの運転手の殆どがこの資格を持っているらしい。
ルートはお任せで出発。
80番 白牛山 国分寺
ご詠歌 国を分け野山をしのぎ寺々に 詣れる人を助けまし
聖武天皇が全国に建立した国分寺で四国に四寺有るうちの一つ。行基が本尊を祀って寺を開いた。1300年の時を刻み創建時の遺構が多数残っている。点在する礎石から創建当時は奈良の唐招提寺や京都の東寺を凌ほどの規模だったと思われている。
その後に弘法大師が訪れて本尊や伽藍を修復して四国霊場に定めた。
この寺には四国最古の梵鐘が健在。この鐘は高松城主だった生駒一正が高松城の鐘に使用と持ち帰ったが、以来、よくないことばかりが続き、しまいには鐘が夢に現れて「帰りたい~」と泣くので返したという逸話が残っている。
お詣りをすませると平地から山道へ車は走った。
札所の順番には拘らずTさん任せ。歩きで考えていたときはこれから向かう根香寺と白峯寺で一日が終わる計算だった。海を見下ろしながら走るうちに緑したたる山道に入りやがて到着した。高松市と坂出市にまたがる連峰のひとつの青峰山中に根香寺がある。
81番 綾松山 白峯寺
ご詠歌 霜寒く露白妙の寺のうち 御名を称ふる法の声々
瀬戸内海を望む五色台。北から黄峰、黒峰、青峰、白峰、赤峰の5峰があってその白峰山中にある。弘法大師が白峰山の山頂に如意宝珠を埋めて人々の救済を祈念して開いたという。その後に智証大師が白峯大権現のお告げで瀬戸内海に流れ着いた霊木に千手観音菩薩像を彫って本尊としてお堂を建てたと伝えられている。
保元の乱で破れた崇徳上皇が讃岐に流されてこの地で没し、白峯寺の傍の白峯御陵で荼毘にふされた。後鳥羽上皇は崇徳上皇の御霊を祀る御廟として法華堂を建立した。また、源頼朝も十三重石塔を建立し重要文化財となっている。
没後二年目に和歌の方で崇徳と親しかった西行がその死を悼んで訪れた。西行が読経していると崇徳が現れ西行は歌を詠んで慰めたという。
ここは二度目の参詣になるが前回に比べるとここかしこに手を加えられているような感じ。平清盛が大好きなので歴史書を探っているうちに崇徳上皇のファンにもなった。二人にとって宿命の戦だった保元の乱。この勝者と敗者は実は異母兄弟という説がある。それだけに奥深い闇を感じてしまう。参拝者の殆どが通過する木札の前に立って感無量だった。西行は崇徳の歌の友だちであり清盛とは武士時代の友人だった。西行がここで読経する姿が目に浮かぶようだ。
このお寺には各所にエトの石像が建っている。エトに合わせたお守りも売っているのだろう。納経帳を書いて貰って目についたのが「崇徳上皇御遺跡案内」という郷土博物館発行の小冊子。1000円也で買った。パンフレットがあったので持ち帰ろうとしたら100円だという。「なんでもただじゃないです」と叱られた。お寺のパンフなんてどこでもご自由にだと思っていたのでショックだった。買わなかった。まあ、入山料がいらないから仕方ないか…だけど納経料で300円納めてるしぃ…こんな小さな不満で崇徳上皇の評判に影響すると申し訳ないね。
さてさて次は。
82番 青峰山 根香寺
ご詠歌 宵の間の妙降る霜の消えぬれば 後こそ鉦の勤行の声
かってここを訪れた弘法大師は五智如来を感じ山々に黄峰、青峰、赤峰、白峰、黒峰と名づけ、青峰に「花蔵院」を建立した。その後、智証大師が霊木で観音像を彫り「千住院」を開いた。この二つの院の総称が「根香寺」である。霊木の根が香気を放っていたからだそうだ。
密教で威力を持つ五大明王を祀る五大王があり、中心は不動明王。藩主だった松平頼重が「霊験あれば示し給え」と祈念したら立ち上がったという伝説がある。
各県から贈られた千手観音は見応えがある。
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