小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二月六日 

2016-03-20 | 嘉永四年 辛亥日記

晴れ
大いに快晴。風呂を焚く。
昼過ぎに日方あさり少々をみやげに了吉がくる。昼飯を出す。
九右衛門殿がくる
桑の枝を一尺五寸欲しいとのこと。
田宮にこれがあるというので貰う約束をした。
酒を出した。
四時過ぎから主人は初めて海野へ行く。
これはかねてから浅之助から頼まれていた。
安兵衞が小袖と岩一郎の着物の紋のことで来て直ぐに帰った。
夜になって母君は鷺の森へ参詣。
岩一郎は市川へ貝少々を持参。有馬へも少し送る。
夜遅くに雷鳴。風も強かったが雨は少しだった。


鷺の森

本願寺鷺森別院(ほんがんじさぎのもりべついん)は、和歌山県和歌山市鷺ノ森にある浄土真宗本願寺派の寺院。
同院は、中世末期には「鷺森御坊」と呼ばれ、紀州における浄土真宗の信仰の中心だったという。この一帯を拠点とした雑賀衆は、信長との戦いのため石山本願寺側へ援軍に赴いた。信長による天正5(1577)年の紀州攻めの際には、和歌山市内で戦闘があったという。同院は、信長と和睦した本願寺側が一時的に移ってきた場所としても知られる。
鷺ノ森遺跡で、16世紀後半ごろの大規模な溝が見つかり、今も発掘中。

川合宅  現在の和歌山市西釘貫町二丁目あたりと推察されている。
鷺の森別院までは近い。


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二月四日、五日

2016-03-18 | 嘉永四年 辛亥日記

二月四日  

今日はとても寒く風も強い。
主人は終日二日酔い。
何事もなし。
2時過ぎに芳右衛門殿がきた。
高橋へ了吉を弟子にしてくれと頼んでもらっていたが断られた。
酒を出す。



二月五日 

会(川合家での塾)で富永、札川、善一どの等が残り、一盃出す。
夜にみんな帰る。雪が降る。
岡野から槍の稽古のことで手紙が来た。
岩一郎は夜分に法輪寺へ行った。


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二月三日

2016-03-16 | 嘉永四年 辛亥日記

  

昨夜遅くから雨が降る。
朝、岩一郎が灸をすえる。
昨日はあり合わせの酒を一升取った。
権七は昼から。
雨が上がると夜は風が吹いた。
主人は山中殿へ行く。
この度の祝儀肴代金二百疋下され、おおいにご馳走されたようだ。
それから湯川八助の家に行く。
娘を田中へやらないかと申し出たが断られて酒を出された。
また、帰りに榎本半助が先日目出度いことがおありだったので酒券2枚を持って立ち寄った。
直ぐに失礼して、札川に酔ってまた酒となる。
ちょうちんを借り、片原まで送ってくれた。
魚を5尾を一匁で求めた。
呉服や安兵衞へ染元が中小袖を持参。
安兵衞は樵木を買ってくる。
真善がきた。しばらく休むという。酒一つだした。
小梅は昼過ぎに灸をすえた。




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二月二日

2016-03-14 | 嘉永四年 辛亥日記

  
少し曇ってた。
昼過ぎにいさと乳母が昨日の礼にきた。お重を返しあり合わせの寿司とかき餅などを出す。
主人は今日は海野へ初めて行く約束だったが、今日は差し支えあり、後日ではいつおいで下さるかと人を寄越す。
六日に参ると返事した。
八日は岡野へ行く予定。
三浦殿へ行って円座を三つ持ち帰った。
黒江から飛脚が来た。
日方あさり貝一包みを手紙を添えて日野屋嘉兵から送る。下女の親だ。
直覚へ手ぬぐいと足袋を取りにやる。
夕方、母上は松下に行く。真菜少しと手ぬぐい持参。
岩一郎は灸をすえる。
権七に笹屋へ本を取りにやった。
熊野仁達へ送るのを津田に頼む。


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二月朔日

2016-03-11 | 嘉永四年 辛亥日記

 
今日は初午。
田中の家内が来る約束だったがこの通りの雨なので歩きにくいのだろう。
野呂清吉も今日は山東伊太祁曽神社へ参詣するらしい。それは山本省太郎殿が病気のための祈祷に参るのだ。
辻野と二人で行くので岩一郎にも誘いがあったが田中の家内が来ることになっていたので断るつもりだったが、来ないようなので行くことにすればよかった。三日には参ることにする。
段々に空が晴れてきた。
昼過ぎに九右衛門殿が孫といさを連れてきた。
留守居がいないので家内は失礼しますとのこと。
岩一郎は豊に道を教えて先に帰る。
有馬から皆でちょっと来てくれと言ってきたので主人だけが行く。
4時過ぎに田中の妻女がきた。
その内に九右衛門殿が孫を連れてお馬部屋まで見に行った。
それから夕飯を食べて8時過ぎにみんな帰られた。
小梅は昼前に眩暈がしてしばらく休んでいたが、その後は治った。



伊太祁曽神社
タマ電車で有名になった貴志川線沿線にあります。
紀の国=木の国でこの神社は神話の頃からあるようです。
初詣でも賑わい、四季折々、立派な神社と山庭が楽しませてくれます。



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