小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月二十九日、晦日

2016-03-09 | 嘉永四年 辛亥日記

一月二十九日  

昼過ぎに和合院がきて酒飯を出す。
飯は精進料理を上九へ、酒は田中店へ取りにやる。
大いに忙しい。糊をしかけて教わった。
和合院がいる間に久右衞門殿がきた。あり合わせで酒を出す。
昼前にお篭町から戸棚を持たせてきた。その者にも酒を出す。



一月晦日  

少し曇る。
風呂を焚く。
昼飯の頃に野呂がきた。林敬助も来る。
酒を出し4時頃まで話す。
主人が入浴中に学校から人がくる。
「今日はお当番ですが、もし何方かとお代わりになられていますか」
主人は直ぐに飛びだして学校へ行った。2時頃に帰宅。
野呂と岩一郎が槍の試合をする。
権七を呼んで山中殿へ魚を持たせた。
チヌ三枚、一尺ばかりの大きさだが弐朱と一匁で大いに高い。



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一月二十八日

2016-03-07 | 嘉永四年 辛亥日記


まず天気で暖かく穏やか。だが夕方から風が出て寒くなった。
昼前につねが来る。妹は口がないようなので帰るとのこと。
昼飯をだししばらくして帰った。
その後で祖母と一緒にきたのでかき餅を焼き酒を出した。
そこへ権七がきたので和歌やへ下女の箱を取りにやる。
昼頃、呉服や安兵が針を一箱持ってきた。衿を一枚と腰帯を一つ買う。酒を出す。
また、安兵へも昨日頼んでおいた肴を買おうかと思ったが、今日のところはやめて酒飯を出した。
夜、岩一郎が岩橋へ膳を返しに行くのに浅草海苔十枚を持たせた。


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一月二十七日

2016-03-05 | 嘉永四年 辛亥日記

  
曇る。
昼頃に安兵が板を持って来てこの間の棚を修理した。
小梅はちょっと酒を吞んで円如寺に頼まれた扇子へ菊の花を描く。
昨日の下女の妹が着物持参できた。後から姉もきた。昼飯を食べる。
八百助が重を返しに来ていっぱい出す。
そのとき七山酒井から麦を三斗五升持たせて寄越した。先日、代金として金三歩渡してあるが少し不足だ。駄賃をだしている間に「お心ご無用」というのでそのままにする。
使いの男に酒飯だしていると雨が降り出した。傘を貸す。

衝助と木やがきた。木やは先に帰り衝助は荷造りをする。しばらく手伝うそうだ。いまだ薬の名前も知らないのでまたお伺いしますのでその節もお世話下さい戸のこと。酒飯を出す。
何もあまり食べないで夕方に帰った。

円如寺がきて扇を渡す。
明日から下総の檀林へり三月下旬には帰るので、又々その節にはお頼みしますとのこと。

昼頃、宮本から手紙がきて今日か明日にでもちょっと来て欲しいとのこと。主人は三浦殿へ稽古に行き、帰りに宮本へ行った。
夜前に、岩一郎が市川へ祝儀を持参したのでその挨拶に来て直ぐに帰った。

下女が着替えを取りに和歌やまで行く。
主人は八時過ぎに帰宅。岩一郎も小梅も胸が切ない。
母君は煎じ薬を飲まれる。
からかさ一本を万二郎に取って貰う。
なにやかや忙しいことよ。
下女は今晩こなかった。 


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一月二十六日

2016-03-01 | 嘉永四年 辛亥日記


朝、8時頃起きる。
野呂は当番(学習館の講義)なので朝食を済ませると直ぐに帰った。
お金が後片付けを手伝う。
庄兵がきて寿司など出す。
昼食の時下女を置かないかと連れてきた。
下女は盆過ぎからと思っていた事だったがずいぶんと良さそうな者なので四、五日使ってみることにした。黒江の米屋の娘とのこと。
早速、明朝から参らせると連れて帰った。
衝助から手紙がきた。
昨日は仁達から手紙が届き、黒田が本を見せに来た。
昼過ぎにいさが重箱を返しに来た。

久右衞門殿からも手紙。
内田の子守をこちらへ寄越すとの事だが、昨夜、ひさのへ盆前は倹約したいので見合わせたいと言ったが、まずそのまま使えばよいではないか、いさを置いてくれよとのこと。
そこで小梅はいさと一緒に内田まで直に返事をしに行った。
今は黒江の者と約束しているのでいさは盆から置くとする。
酒販をよばれた。
そのうちに山中殿へ喜びを言いに行った主人がやってきた。
山中大助殿は本日殿様のお召しだった。



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