「水口」 名物干瓢
当時どこにでもあったような風景の中に,夕顔の皮をむく女、それを干す女の手仕事のなかに、夏の佇まいを描く事で広重は水口宿らしさを表現した。自然と人間との係わり合いを描く風景画は心温まりまる。干瓢作りは、当時水口城主であった加藤氏が下野(栃木県)から移入してきたおりに奨励し、特産物にしたといわれている。
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
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