ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

沖縄よいとこ一度はおいでの巻 その4

2010-01-28 10:30:00 | 旅日記

 そうこうしてやって来たやむちん通(冒頭写真)は石畳の一方通行道路の両側に何軒か置きに、窯元直売店を主体にして20店ぐらいが点在しており、中には紅型や沖縄ガラスその他の工芸品を販売する店もある。うれしいことに骨董店も2軒ばかりあるじゃないですか。

 この一帯はアーケード街の奥にひっそりとという感じで観光客も少なく地元の人通りもそんなに多くなく、国際通から牧志公設市場周辺などの混雑がウソのよう。壺屋焼は人間国宝の金城次郎がつい最近亡くなったばかり、数軒で展示されていた作品のお値段はぐい呑猪口で6万円弱、花瓶類は70~80万円というのは数が多くて井上萬二や島岡達三など同じぐらい、その他の作家よりは安めとはいうものの流石ですね。やはり買うなら小さくても素焼のシーサーがいいと拘っていたものの手頃な大きさだと4000円以上と思わぬ高い値段に安い釉薬掛にしようかどうか迷っていた我々、琉球焼と書いた中城村に窯があるという直売店で素焼のシーサーが安くなっていたのをやっと見つけました。窯元直売で国際通より安い4000円弱の正価を税込2100円と値下げしていたのを即座に買ってしまった。このシーサー、阿吽の2体がセットになっていて、神社の狛犬とも同じ源流をもつのでしょうね。お寺の仁王様も有名な東大寺南大門の東阿形西吽形のように決まっているしで、梵字の最初と最後の文字からきたという阿吽の呼吸はどういう経緯があってこういうものになってきたのでしょうか。あとはこれまた半額以下に見切っていた壺屋焼の魚の線彫で沖縄独特釉薬の猪口も荷物にならないと別の店で購入する。沖縄の焼物は土が弱いらしくどれも肉厚で重い仕上がりになっていますが、そこが民芸風でいい風合があるのです。また華やかな紅型を筒状笠にしたライトスタンドをディスプレイにしていた紅型と焼物を扱う店では、同じ作家のもっと大きくて面白い柄の紅型テーブルセンターも気に入って買込む。

    

       藤崎眞作の紅型

 最後は骨董屋に入り沖縄の戦前の焼物を見れば大きな直しがあってもかなりのお値段、完品に近いものは5~6万円以上、それも中国南部や安南などの地味な釉薬でかなり中国庶民窯製風、中には中国からの輸入品も多いらしく紛らわしい。今の焼物の華やかな釉薬と同じものを使った戦前から100年以上前の焼物などもあるもののこれまた高いですねぇ。さらに古いものでは表面にレリーフ風に模様を彫り出して釉薬が掛かった王朝物もあるらしいが、ここには無かったので聞かなかったがどんなお値段なんだろう。戦前の大きなシーサーやそれより昔からの魔除けの石敢当、さらに昔の中国製銀製魔除けなんていうのもあったがこれらも高い。店の親父にそれら沖縄の骨董の講釈をいくつか聞いて最後に目に付けていた店内の正面壁に掛かっていた額装、戦後沖縄紅型復興の功労者でその後の人間国宝作家の先生だったという城間榮喜の作という流水に鴛と菖蒲を配した沖縄らしい図柄の厚い木綿の染絵だけを買うことに、額は持帰るのに不都合と額装表示値段の半額で手を打って沖縄旅行記念になったなと。もうひとつ狙っていた芭蕉布の古着は小さな端切をちょっとだけ売っている店が市場内に一軒のみあっただけ、紅型や上布、ミュンサー織、花織なども含め安くて状態の良い古布は残念ながら見つかりませんでした。まぁ初めての沖縄でそんなに色々な収穫なんて欲張ったことはできぬ相談というもの、またのおこしをどうぞというところですか。それにしても骨董屋の親父、城間榮喜をエラク評価しているようで、隣にあった芹沢介の染絵よりももっと上などとのたまっておりましたですぞ。

 その後も同じようなアーケード街で戦後の闇市から発展したという平和通商店街の方を通って国際通に戻りながら、あまり荷物にならない食材などのお土産を買込んでリュックに詰め込めばもう一杯でかなりの重さになってしまった。それに紅型や生地など軽いものだけでも大きな手提げ紙袋溢れる荷物となってしまいましたよ。昼がそばだけだったから腹も減ったし、午後7時空港集合にはまだ間があるけれど、ここに居るうちに早めに晩飯兼用で食べておこうと、また公設市場近くに戻ってきたのをさいわいに4時過ぎにまたもや2階食堂に行けば、さすがにこの時間帯は空いていました。今度は家庭料理の看板のさかえ食堂に入り、またもや沖縄そばともやしチャンプルを注文する。こちらはストレート麺に近く具には刻み玉子などが加わっていて、店によって違いがあるのですね。チャンプルとは混ぜ合わせるという意味だそうですが、もやしチャンプルは中華料理の味に近い炒め料理で豆腐とランチョンミートが入っているのが沖縄流で結構美味しいしボリュームもあった。これまでいくつかの沖縄料理には豚肉ではなく、代わりに入っていたハムを細く切ったような、でももっと柔かい味も薄めのランチョンミートという加工豚肉は戦後食糧難の沖縄に駐留軍が持込んだ缶詰で、豚肉の代用にしているうち沖縄料理の必需品になったものだそうだ。小学校時代ニューヨーク暮らしだった女房は、向うでも時々フライパンで焼いて食べたと自慢そうに講釈してよこしました。変なところで幼い頃を思い出したようですね。これだけ食べれば飛行機内での間食となるものがまだ少しばかり残っているからもうあとはいらないなと食堂を出る。

 またもやいつものとおりの安上りの食事で腹を満足させて国際通に出て、もう先の方は行かなくてもいいかなと県庁方面に左側歩道を戻りながら店を覗き覗き歩く。目新しいケバケバしい土産物屋の合間合間に昔からと思われる沖縄特産珊瑚や鼈甲の店、沖縄漆器などの古風な店がこちらには多い。アクセサリーなどは女には目の毒ではと思うものの女房は存外サラッと眺めるだけで、もう十分持っているからいいんだよねと僕が半分冷やかすのを聞き流しながらか無視してか通り過ぎていく。沖縄漆器では骨董市で紅型の絵柄を模した菖蒲の図柄で風味あるお盆を買ったことがありますが、今のものは奥行きの無い表面キラキラの塗りがほとんどでこれは食指が動きませんでした。あとは三越デパートで調度開催中の名画即売会にルノワールの読書する女が2億8千万円の値札で展示のニュースを見たので話の種と冷やかし、沖縄の名産など売っていないか見てみたが、土産物は周辺でイヤッというほど売っているからかほとんど置いていない。ということで本当はスーパーなども見ておきたかったのだが周辺に見当たらずで、丁度お時間もよろしいようでとモノレール駅に戻って空港へとやや余裕を見込んで向かう。公設市場周辺のあんなに多くの活気ある店が並ぶこの辺りでは、スーパーだって出る幕はないでしょうから納得しちゃいましたよ。これで駈足旅行ながらまぁまぁ楽しく沖縄3日間をすごせたじゃありませんか。びっくりの方はツァーお値段がビックリということでしょうか、旅そのものは予想の範囲で特段びっくりすることはありませんでしたから。

 帰りもJAL便で東京へは定刻の20時10分発でこれまたほぼ満員の乗客を乗せて飛立ち、羽田には予定より10分程早くに無事到着。急いで到着ロビー1階を出たバス停に駆けつければ我家のある駅への直行バス最終便に滑りこみセーフで間に合って、午後11時半ちょっと前に帰宅できるとは、本当に便利楽ちんになったものですねぇ。


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