ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

有馬温泉を根城に湖東・篠山・奈良・京都に 第四日目前半 2010.11.23(火祝)

2010-12-27 18:55:01 | 旅日記

 幸いに昨日の雨模様から晴れに代わってやや明るくなった早朝に一番で朝風呂に、これが今回の最後だからとやや長めに浸かる。今日は横浜に戻るから、その途中では紅葉の京都で午後まで楽しんでから帰ろうという予定で、義妹だけは京都なら付いてくるというので一緒に3人旅。彼らは朝が遅いからこの日も朝飯を抜きにして、それでも8時半と遅めの出発で高速の渋滞を心配しつつクラブを出る。
 二日間高速を走って関西地区はSAやPAが少ないからと、西宮北ICから乗ってすぐの西宮名塩SAで朝飯代わりのおむすびを買い込んで先を急ぐ。京都手前までは流れたものの、やはり京都南ICの出口は混んでいて時間を浪費、今回は南禅寺方面の紅葉を見てから東山の高台寺から清水あたりを観光しようかと目論んでナビに従って走って行ったが、市内も祝日だから観光に来た車が多いらしく、八坂神社前を抜けるまではかなり混雑していた。なるべく南禅寺に近いコインパーキングの空きを見つけようと、幸いに400mほど手前、平安神宮入口の看板がある辺りに空車マークの掲示を見つけて、10時過ぎに最後から二番目で停めることができた。
 少し歩けば琵琶湖疏水のインクライン遺構を超えて南禅寺への参道となり、人込みに混じって進んだら、観光バスが連なって専用駐車場ももう一杯で、これにタクシーからマイカーまで加わるから交通整理が大変だ。こちらに来てから運転中のカーラジオで南禅寺周辺も紅葉の見頃という情報が流されていたから来てみたのだが、やはりこの辺りは哲学の道にかけて紅葉の名所だから観光客がゾロゾロと、それも歩道からはみ出したり横断歩道を占拠するから、車は手前に停めちゃうというのが正解だね。この途中には金地院の表札があって、あの徳川前期の有名な政治僧はここの住持だったのかと興味を覚えたが先を急ぐ。

               インクライン跡
 石川五右衛門で有名な三門の手前からもう見事な紅葉が出迎えてくれる、京都も紅葉の主役は楓で、赤から黄色までのグラデーションがあって透き通るような枝振りだから奇麗だねぇ。この日は晴れて日差しを受けて、まばゆいばかりに輝いて見えたりしてさすが京都。しかし黄色と赤では色素が違うというのだが、葉の形は全く同じで木の種類は同じだと思うのに何が違っているのだろう、木々ごとの紅葉までの時間差なのかな。

           三門前

 

      三門から境内を見ると                   境内の紅葉

 三門は有料で上がれるが以前に登ったことがあるし、時間の制約もあるからとくぐっただけで法堂(冒頭写真)に進んでお参り。そのあとは琵琶湖疏水が今や南禅寺の風景となっていると案内にあったから、その上まで歩いて今でも豊な流れを見物することに、今は役割は減ったんだろうけどこれだけの水量は何処かで使われているわけだ。

  

       境内右手奥に赤煉瓦造りの疏水水路閣が            今も滔々と流れる

           

 その近くの南禅寺の塔頭で、名園があるという看板に惹かれて南禅院の庭園に入る。この名前が本山と同じというのはどうしてなのか、こういうケースは初めて知ったので何か説明があるか見てみたら、寺の前の高札掲示板や入場券の裏側の説明に、鎌倉時代の亀山天皇が離宮を寄付して禅寺とした遺跡で、その後の南禅寺発祥の元となった寺だとあって納得しました。こちらの庭園もその当時からのものらしく、年代を経てシットリと落ち着いていますねぇ。入口近くは芝生みたいに苔が広がる明るい庭であるが、奥の池泉廻遊式庭園は夢窓国師の作庭で、天竜寺庭園と西芳寺苔寺と合わせて京都三名園だそうだが、規模ではやや劣るものの苔寺と似た雰囲気がある。亀山天皇はここで出家して法皇となられたそうで、遺骨も分骨されてこちらに埋葬されているそうだ。由緒正しきお寺だったんですね。

           南禅寺由来

  

          夢窓国師作庭は奥に                    手前は開けた庭

 

                         回遊式庭園を巡って

 このあとは高徳院から庫裏、方丈と左回りで境内を一周してみる、そのあと永観堂から哲学の道方面の散策もいいらしいのだが、このあと東山に回るとなると時間がないからと参道に戻ってきた。

           方丈
 そこで帰りも前を通れば金地院がいかにも気になってしまい、入場門の前に行ったら小堀遠州作の枯山水鶴亀の庭があると書かれている。金地院と言えば徳川前期の黒衣の宰相と天海僧正とともに呼ばれた金地院崇伝は有名な人物で、この塔頭の建物群や庭は崇伝自身が造らせたもので、方丈も伏見城から移したものとあったからやっぱり入ろうということに。


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