長らく復元工事中だった東京駅がやっと完成して開業という10月1日、台風が心配だったけれど幸いに夜のうちに大きな影響もなく通り過ぎてくれて、朝には富士山も眺められるという日本晴れとなり新たな出発に相応しいと、実はこの日が日本橋三越で開催中の日本伝統工芸展の最終日でもあったことから、前々からこの日に両方の見物に行こうと決めていたのです。
朝は10時前に我家を出発して東京メトロの銀座で降りて、銀ブラしながら東京駅を通り抜けて日本橋まで長躯歩くことに、途中では今晩のおかず用にと吉祥寺が本店の肉のさとうでメンチカツやコロッケを買って、その先はさらに遠回りして以前に一度だけ食べたことがある謝謝美食という中国人がやっている安い中華屋で腹ごしらえして、また延々と歩き通してハトバス出発地を横目に通り抜け、これも新装なった東京中央郵便局側から東京駅の正面を一周するというちょっとした遠足気分の散策、この日は夏みたいに暑くて大汗をかきながらの強行軍であった。
銀座一丁目まで来たら中央通りからはずれてまずは肉のさとうに、こちらの支店の方は行列があるわけでもなくてスンナリと買うことができたが、見たら弁当やハンバーガーなどもあって付近の勤め人のランチ用になっているんでしょう。この隣には浜松餃子とか三島コロッケと書かれた旗を掲げるふじとはちという店があって、まだ11時ちょっと過ぎだから準備中であったが、そのランチには少しばかり食指が動くなと。あとでネットで見たら静岡と山梨の食材料理とあったが、店名のふじとは富士山のことか、はちなる方は何を意味したものかね。
肉のさとうとふじとはち
そのまま北上して京橋まで来たらまた遠回りして昭和通りを渡り、その先弾正橋を越えれば八丁堀側に入ってすぐの路地にある謝謝美食という中華屋に。大通り側の歩道にランチメニューの看板が出ていて、どれも600円という格安値段なが以前に一度食べてまずまず旨かったからと。ここは出前もかなりやっているらしく、配達用のスクーターが前に停まっている場所が目印だ。
謝謝美食
ランチメニュー
この日はFランチの酸辛スープ麺と半チャーハンを食べてみたが、ここのスープは赤身が濃くていかにも辛そうと案じたがスッパ辛の具合は普通、でも見栄えが良くないのと味は微妙で、具の内容も量も仲町台の龍巳飯店に見劣りするのはお値段でしょうがないか。チャーハンも作り置きのようだからそれなりのもの、これだとこの前のレバニラ定食にしとけばよかったかな、それと僕には酸辛湯麺というのはスッパさが今一つということかもしれないけどね。でもサラダ、ザーサイ、杏仁豆腐とこれだけ付いてこの値段は、この辺りは銀座に近いのに下町ということだ。
600円のセット
腹ごなしとばかりまたテクテクと東京駅方面に向かい、線路のガード下を潜り東京フォーラム手前を右折していけば東京駅はすぐ、手前の東京中央郵便局も既に完成していてこちらからの様子は一変していて、残っていたのは駅前広場の整備ぐらいですか。やはり復元が完成したばかりの東京駅を見ようという輩が多いですねぇ、皆さんがカメラを向けていてご同輩ばかりと僕もその仲間入りをしちゃう。郵便局側から皇居側の正面に廻って、真正面から横断歩道を渡ってまた南口に、そして中に入ったところは吹き抜けの大空間となっていてこれが見事でカメラを構える人たちでまたいっぱいに仲間入り、さらに中央口側に歩いて行けば押すな押すなの人混みとよくも野次馬が集まったものだと、でもこういうのって皆が楽しいんだからいいもんですな。中央口にはドームがないから内部はそんなでもありません、もう一つの北口ドーム内も南口同様の空間となっているのを確認して、人!人!人!のなかでの見物は終了、八重洲口への自由通路を抜けてから日本橋方面に。
東京中央郵便局側から
東京中央郵便局と手前はカメラの放列
正面側から
南口から北口方面を
中央口付近
ドーム空間
ドームの天井
新たな入口庇受けもデザインされて
毎回日本橋三越で開催される日本伝統工芸展はこの日が最終日で、なんと今回で59回目だそうだが無料というのが嬉しい。陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸という分野別に審査され入選した作品と、歴代審査員や人間国宝の人達の作品が展示される。購入希望の方はご相談くださいという貼紙があったが、希望するには相当なお値段を承知でないとできませんな。特別賞を受けた作品には技法を含めた説明書きがあったけれど、とにかく凄い手わざのものばかりだということは分かりましたが、具体的にどうやっているのかと、陶芸などでも習っている僕だってどうやってこんな模様が出せるのか全く分からないものが多くて、恐れ入りましたです。とにかくこの展示はいろいろなものが見られて見ごたえがありますな。
パンフレット
かくて我家に帰ってきての万歩計は朝の犬の散歩も含めて17000歩を超えるという、久しぶりの大カウントを記録することとなった。