■夜中にTVでカナダの学校のいじめ対策の番組を見ていた。NYで勉強したセキュリティーの授業と比較したりして興味深かった。
番組の学校では校長がその対策プログラムに強い興味を持って担当の女性教員に専門教育を受けさせ、彼女をコンサルタントのようにして教職員を指導して対策にあたる、というものでいかに隠れたいじめの実態を子供に報告させるか、という対策である。
決して被害者と、加害者を会わせないで個々に直接話をするという形をとる。対応は全てマニュアル化されており、被害者に対しては全て悪いのは安全な子供の教育の場を提供すべき学校の責任だと説明して校長が被害を受けた子供に謝罪する。
被害を目撃した子供が教師や親に通報することの必要性をロールプレイでクラスで学習させ、その後に子供に直接面談して「密告」は正しいことであることを納得させる、というように進める。
これは映画「インサイダー」のテーマと同じで犯罪の摘発にはいかに内部通報者を保護すべきかが重要であるかを問題にしており、犯罪の是正にまで踏み込んでいない点がポイントだ。
10年前のアメリカのいじめでは教職員が生徒の暴力からいかに身を守り加害者を取り押さえて警察に引き渡すかがセキュリティーの点から教育された。護身術だ。
マクリー教授の言葉を思い出す。犯罪が起こると皆それは家庭の責任だ、教育者が悪い、社会の環境が悪いなどというが、本当に悪いのは加害者本人なのだ。同じ環境にあっても事件を起こさない者がいるのだから。そのような悪者をいかに摘出して隔離するかが他の者の安全確保というセキュリティーの目的だ。という。
制度を改革したり、保護者や教育者の理解を深めたりしてようやく解決するのでは間に合わない。実態をいかに把握するか、情報をいかに収集するかに徹するかが解決につながる、ということだろう。日本はそうじゃあない、という意見もあるだろうが僕はどこでも結局は同じだと思う。
番組の学校では校長がその対策プログラムに強い興味を持って担当の女性教員に専門教育を受けさせ、彼女をコンサルタントのようにして教職員を指導して対策にあたる、というものでいかに隠れたいじめの実態を子供に報告させるか、という対策である。
決して被害者と、加害者を会わせないで個々に直接話をするという形をとる。対応は全てマニュアル化されており、被害者に対しては全て悪いのは安全な子供の教育の場を提供すべき学校の責任だと説明して校長が被害を受けた子供に謝罪する。
被害を目撃した子供が教師や親に通報することの必要性をロールプレイでクラスで学習させ、その後に子供に直接面談して「密告」は正しいことであることを納得させる、というように進める。
これは映画「インサイダー」のテーマと同じで犯罪の摘発にはいかに内部通報者を保護すべきかが重要であるかを問題にしており、犯罪の是正にまで踏み込んでいない点がポイントだ。
10年前のアメリカのいじめでは教職員が生徒の暴力からいかに身を守り加害者を取り押さえて警察に引き渡すかがセキュリティーの点から教育された。護身術だ。
マクリー教授の言葉を思い出す。犯罪が起こると皆それは家庭の責任だ、教育者が悪い、社会の環境が悪いなどというが、本当に悪いのは加害者本人なのだ。同じ環境にあっても事件を起こさない者がいるのだから。そのような悪者をいかに摘出して隔離するかが他の者の安全確保というセキュリティーの目的だ。という。
制度を改革したり、保護者や教育者の理解を深めたりしてようやく解決するのでは間に合わない。実態をいかに把握するか、情報をいかに収集するかに徹するかが解決につながる、ということだろう。日本はそうじゃあない、という意見もあるだろうが僕はどこでも結局は同じだと思う。