■入院中はTVを見ることが多くなる。TPP問題について考える機会もあった。僕には、アメリカ留学してセキュリティを勉強したときに形成した日本文化セキュリティ国家観というものがあって、これによるとTPP問題の結論は自明のことに見える。国家間のルール作りに早く参加して遅れている日本の外交力を高めることの優先性は揺るがないのだが、どうして今、食の安全保障などと称して政治が農業保護を声高に主張するのか?
旧自民党にとって農家は「票田」といわれ、地方の保守票の基盤だったが、それが食管制度を生み、農業の自立を阻んだ。企業も金融も行政に保護されて自立できず、家庭内ですら、親の子離れ、子の親離れができない。高齢者医療が国の社会保障制度を崩壊させる方向にまで進もうとしている。
「一緒に渡ればこわくない」的発想も「和をもって尊し」の伝統も「平和憲法」の定着も、「銃のない安全社会」も皆、個人の自立とは別次元で達成されているのが日本社会だ。まるで社会主義国家のような、国際的にも特異なこの文化を僕は「セキュリティ文化」と勝手に呼んでいるわけだ。自立不要国家の「たかり」の思想が日本を疲弊させるのではないか?と思っている。
だから肥大化した行政の改革も大事だし、TPPに農業問題をからめて政争に使おうという遅れた発想から逃れられない政治家の改革も必要だ。でも皆同じ意見でまとまることを願うような国民意識の改革はどうか?かって「TVは一億総白痴化」(当時は日本の総人口が1億だった)を招くと喝破した評論家もいた。インターネットと双方向デジタル通信技術はこのマスメディア批判に答えるほどの国民意見の自立に貢献しているだろうか?
食の安全といえば食料自給率を高めよなどと説明なしで言われるが、一体どういうことなのか意味がわからない。東北大震災に際し、福島産の食品が風評被害にあったとか、汚染地域では今後農業ができないとか、そういった問題こそ現代的食の安全保障問題と言うべきだろう。
日本の農業技術を学び、世界各地に出て行って、地元の農業経営に貢献しながら日本人の需要に合ったものを日本に輸出するようなことを考える国際的農業人は育てられるだろうか?それは我々日本では多くてあまっている高齢者の役割ではないのだろうか、などと考えてみたりする。
TPP問題にしても、各分野別の利害得失の計量ができない今だからこそ政治がしっかり決めて、、と思うが「どじょう総理」はこの点でけっこう頑張っているんじゃあないだろうか?
世界の歴史上、アメリカのように関税で戦争が起こってきたこともあるし、日本のように非関税障壁というもので孤立化したこともある。「平成の開国」などと騒ぐ筋合いでもないが、国際化が平和の道筋という流れは変わらない。農業自給率にこだわる発想は違和感がある。
政治も世論から自立するほどの識見をもって欲しい。総理が減税ではなく消費税導入を問うために選挙に出る姿勢はいいと思う。国民意見の自立にもつながるだろう。この発想はケネディ大統領の就任演説で国民は「国に何を求めるのかではなく、国の為に何ができるか」を求めた半世紀前のアメリカ政治思想にようやく近づいた感じだ。
この入院生活も今日でおしまい。事故における医療保険制度を考える機会があった。そして、その実態は保険代理店、警察、病院、社労士等の専門家さえも全体を把握できない日本の保健医療制度の中で、入院患者、一般人が何の情報も知る必要なく安全に保護されている現実である。
「退院するのでいくら払ったらいいですか?」「第三者による事故で保険がカバーしていますから何もしなくて大丈夫ですよ」
そう看護婦さんに言われたんじゃあ、患者の安全保障意識の自立など芽生えるはずもない。これが日本の医療制度というセキュリティ文化なのだ。そして、これが社会保険制度を危機に陥らせている。