■午前中の授業を休んでハノイ歴史研究会の「テト」の話を聞きに行く。時間を間違えて1時間早く行ったが,他にも間違えた人がいて間違ったことを教えてくれた。
時間つぶしに会場のジャパンファンデーション近くでフォーを食べて歩いてみたがスゲエお洒落なところだと思った。小さい通りにはフランス風の洒落た造りのレストラン、カフェが集まっていたりもっと細い路地に入ると街路樹が通りや脇の住居に枝を伸ばしていて大きくない店や住居がヨーロッパ的風情があってなんともいえずここに住んでみたいと思わせる場所だ。まさかベトナムがこんなところだとは思ってもみなかった。
講演は大西和彦さんという宗教歴史研究者でここで30年ぐらいベトナム史を研究されている。祭事儀式等すでにベトナム人が忘れたことまで研究されてそれを伝承することが外国人研究者の使命だとも考えておれれる。ベトナム人の生活で最も大切な伝統である「テト」の解説を聞き感動してしまったくらいだ。テト(節)は日本の節分や節句の節なのだ。2月中頃の(今年は2月14日から)2週間ぐらいだが実質は前後1週間ぐらいは国自体がマヒしてしまうくらいの催しなのだ。実際僕の予定も来週のファイナルの後、3月から始まる新学期まで1ケ月間休みになる。
特に、かまどの神様が女性で2人の男神の3人柱になっているところがおもしろい。神話時代からこの国は女性上位だったのだ。2人の男神は家事と台所担当でビジネスは女性神の仕事(今でもこれは同じだ。男女の三角関係というところも同じなんだろうか?)。歴史上、ホイアンの「日本営」すなわち朱印船貿易で財を成した日本商人の墓碑銘にはベトナム女性名が何人も出てくるそうだ。これは日本人の嫁となったベトナム女性が日本との間で絹と銅銭(寛永通宝)で莫大な利益をあげていた証であるとのこと。当時この地に起きた大戦争に銅銭を鋳直した武器需要があり地方名家の広い人脈を使うことのできた彼女たちが大儲けしていたのだという。
当時日本は絹の輸出をしていたにもかかわらずなぜ海のシルクロードで絹の輸入をしていたか?ということについては日本の絹は品質の低い安物だったということは知っていたが、なぜ日本の通貨が輸出されたのかをはじめて知った。
思わず、大西さんに話しかけて歴研の人と一緒に食事。その席で「ベトちゃん、ドクちゃん」について実際に現場に立ち会ったという大西さんに事実を聞いたところ、やはり実際に何人もの研究者が調査したが本当の原因はなんだかわからなかったのだという。しかし「ベトナム戦争で枯葉剤の影響で」という史実をベトナム人は誰もあえて否定しないことが、僕にもやっと「ベトナム人的な、ベトナム政府的な」発想・思考であるらしいと納得できた。
桃太郎の話も初めて知った。モモの木はベトナムで祭事に頻出する。魔除け、解毒の効用があるからだ。だから鬼退治につかうので桃太郎なのだ。リンゴ太郎でもミカン太郎でもない。僕の考えている「浦島太郎」のはなしも聞く機会があるかもしれない。
歴研はいつも講演は午前中。だからメンバーは主婦がほとんど。ここもベトナム的かな、、。夜、メールが来て僕もメンバーになっていた。