熊本県川柳研究協議会(熊本川柳研)

県内の川柳団体・個人会員が加入しています

2024年明ける

2024-01-01 00:00:01 | 川柳一般

            

                                        鹿児島県出水市のナベヅル 撮影:黒川孤遊

           あけましておめでとうございます

            令和6年(2024年)元旦

         七福神みんな笑うと気味悪し    岸本水府

         破れ穴から覗く正月        佐藤美文

         潜望鏡そっと上げるとお正月    新家完司

         お元日老醜枯淡紙一重       橘高薫風

         一年の長さ短さ年をとり      田頭良子

         挨拶の一句を抱いて春を待つ    黒川孤遊

 

                  今年は新会長の誕生を待つ辰年です。

                     熊本県川柳研究協議会  黒川 孤遊


会員しろ猫エッセイ

2023-12-25 00:00:01 | 川柳一般

                メモなし買い物のすすめ 

高齢者も70歳を過ぎると車の運転免許の更新時に、事前の高齢者講習が義務づけられています。75歳の後期高齢者からは認知機能の検査も加わり、講習会場となる自動車学校などの教室はにぎやかになります。

特に記憶力をためされる場面で印象に残っているのは、「昨夜遅くまで努力して覚えていたのに本番で忘れてしまった」と嘆く担当官とおばあさんの会話が秀逸でした。どうやら世の中には予習問題が存在するようですね。そんな愉快なおばあさんを含めてほぼみなさん合格のようでした。

年老いてくると複数のことを記憶したり実行したりすることが困難になります。2つの動作に3つ目が飛びこむと新規の内容に振りまわされて当初の2つを忘れることが多々あります。

さて、私は先日ストアーに買物に行った際に、買物のメモを忘れてきたことに気がつきました。配偶者が冷蔵庫の扉に設置した小さなホワイトボードに書いた十数品目をメモした用紙です。家まで引き返そうそうかと思いましたが、記憶力テストとして買物にチャレンジすることにしました。結果は1品目を除き全部買いそろえることができました。

ちなみに、忘れた1品目はコンニャクで、家を出る直前に口頭で聞いたものでした。自分の手書の動作が脳の認知のポイントだったのでしょう。さあ、メモをせずにあるいはメモを見ずに十数品目の買物で脳トレなどはいかがでしょう。

脳トレのために買い物引き受ける・・・しろ猫

            

脳トレの講座の日にち間違える  Y


川柳と短歌と

2023-12-12 00:00:01 | 川柳一般

同じ五七五で詠む川柳と俳句は比較されることが多い。ところがむしろ季語に束縛されない短歌のほうが意味性としては近いのではないかと思うようになった。現代短歌(短歌にそういう分け方があるかは不明だが)の語りは話しことばに近い。

このごろSNS内で、若い人に短歌から川柳への流入がみられるのもうなずける。

つぎは新聞に掲載されている書評のなかから、浜名里香(はまな りか)歌集「くさかむり」から引用されているものを紹介する。(Y)

(とり)ならばクラス全員皆殺しインフルエンザに公欠ひとり

革ぶくろつぶしたようなくしゃみしてここにこうして生きているひと

どの過去もどこにも戻りたくはなく人生も二度やりたくはない

ようやくに私語の止みたる教室に息やわらかくなりて眠る子

仏壇に上ぐる苺のくさかむり母のふたつのつぶら実真っ赤

お日さまにうっかり当たっておりましたおたまじゃくしが生まれる午後に

写真は熊本日日新聞2023.12.4から


第45回 熊本県民文芸賞 上位作品紹介

2023-12-06 09:27:28 | 川柳一般

今年も、第45回 熊本県民文芸賞の選考結果が11/17の熊日新聞に発表されました。川柳部門の上位の作品が12/6(同新聞)に掲載されました。  

1席 中山和さん(荒尾市)    

次席 森永可恵子さん(玉名市)

入選 中田美保子さん(熊本市)関戸幸子さん(同)阪本ちえこさん(同)

          松村華菜さん(荒尾市)西川雅子さん(玉名市)

入席入選のみなさまおめでとうございます。つぎは筆者のイチオシ句です。(Y)

       ひとつずつ世俗を脱いで水になる  中山和 

      

      写真は熊本日日新聞2023.12.6から


会員しろ猫エッセイ

2023-11-30 00:00:01 | 川柳一般

           送り手と受け手の言葉 

最近、気にするほどのことではないにもかかわらず、やはり気になるフレーズに出合うことがしばしばあります。その一つに「癒し」という言葉の使い方があります。本来は、病気や傷をなおす、飢えや心の悩みなどを解消する、といった文脈の中で使われるのが一般的でした。ところが最近は、癒やし空間、癒やしを体感、癒やしを感じる、そしてとうとう「癒やされてみませんか?」まで登場するようになってしまいました。癒やされるは、あくまで自分の心身の状態に対する個人の主観であるはずなのに、何故癒やされてみませんかと勧められるのか不思議でなりません。

これと似たような言葉使い方に「四度泣けます」という新刊書などのキャッチコピーをよく見かけます。4章あるいは4つの短編から成っていて、四回はあなたの涙を絞ってみせますというのでしょうか。それこそ泣こうが泣くまいが個人の感性が尊重されるべきで余計なお世話もいいところです。

こうして、情報を与える側の論理ばかりがまかり通って、受け手の主体性が軽んじられた状態は枚挙にいとまがありません。

そうかと思えば、素晴らしい成果を上げたことに関してどう思うか?との質問に「これが生き甲斐じゃないかなと思っています」などと、応える場面も散見します。送り手の厚かましさと受け手の当事者意識の希薄な言葉使いが際立つ昨今です。

 戦争を勃発という無責任・・・しろ猫

          

 ゲル状の猫ふところに国防論  Y