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浮いたつもりがまた浪費
昨日のお買い物メモ。
興行師たちの映画史/柳下毅一郎/青土社/2,400→1,200
建築技術2002.10月号・パッシブってなんだろう/1,850→500
建築ジャーナル1995.2月号・戦前・戦後 日本の「近代主義建築」を概観する/600→200
先日のダブりのディティールは無事購入者が現れました。ありがとー。
ってすぐつかっちゃったんだけどね・・・。
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建築ジャーナル1995.2月号・戦前・戦後 日本の「近代主義建築」を概観する/600→200
先日のダブりのディティールは無事購入者が現れました。ありがとー。
ってすぐつかっちゃったんだけどね・・・。
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上海・孤島の孤独に邂逅はあったか
1940年9月3日、上海共同租界の料理店で一人の映画人が殺害された。
殺害されたのは劉吶鴎(りゅうとつおう)、中華電影公司の社員である。
若干35歳とはいえ、中国映画界では製作者としてすでに名の知られた人物であった。
殺害したのは国民党政府の特務機関とも言われているが、真相は謎である。
ところで何で本書の題名が「李香蘭の恋人」なのか、といえば、
ひとつは李香蘭が事件後早い時期に台湾の劉氏の実家に墓参に訪れており、
当地では「李香蘭は劉吶鴎の恋人」という風説が存在することから。
もうひとつは、近年になって山口淑子(=李香蘭)自身が
「当日劉氏と会見の約束があったが、現れなかった。
後から彼が店を出ようとしたところを襲われたて亡くなったと聞いた」
と証言していることからの、可能性の憶測である。
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劉吶鴎は台湾出身であるから、日本国籍を持つ日本人である。
それは当時台湾は日本の植民地だったからだ。
しかし、現代の日本人にとってそのことをリアリティを持って感じることは難しい。
いや、当時の日本人だって「本島人」と呼んで差別していたのだ。
1940年当時の上海の共同租界は日米開戦前の「孤島」時代(1937.11-1941.12.)。
劉吶鴎は複雑な出自を持って「魔都上海」で日本側と組んで映画制作に携わっていたことになる。
今までの中華電影関係の書物は当事者の証言として書かれたものが多かったが、
著者は長年台湾映画と係わってきた人物なので、
台湾を始めとした中国語文化圏からの資料や証言が多く盛り込まれている。
同時代的に李香蘭がどのように台湾で受け入れられいたかの記述は興味深いし、
狭間で生きる人間同士という意味で劉と李のシンクロを見よう/見たい、
という視線には(実際にはどうだったのか、は隔靴掻痒だけど)共感する。
また、一般的には中国側への理解者という文脈で語られる川喜多だが、
川喜多に名取洋之助と同じようなメンタリティを感じていたプラナリアには
著者の当時の川喜多の意図への考察・評価には納得できるところが多かった。
なお、本書が重要資料として参照している松崎啓次の「上海人文記 映画プロデュサーの手帖から」(高山書店・1941)は
2002年に「上海叢書 10」(大空社)として復刻されているが、バラでは買えないらしい。
幸いなことに内容を詳細に紹介しているBLOGがあったので、ご案内しときます。
→ bikoranさんのBLOG・上戸彩「李香蘭」のエントリー:テンピンルーを最初に描いた史料 「上海人文記」1
同BLOGによると松崎の本では映画と並んで「ラジオ」における文化工作についても触れられているようで興味深い。
ご参考(過去エントリー);
満映をやめて上海に来てからの李香蘭の「壊れっぷり」?について
→ 納涼会見記・上海1945
名取・川喜多の対中文化工作について
→ 気になる「兵隊」
*09.6.8.一部加筆訂正しました
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甘粕の廣野で乱心
図書館に予約していた佐野真一による甘粕の評伝がようやく廻ってきた。
分厚い本だが、一日で読了。
関係者、というよりはその親類縁者を執拗に探し出しての聞き取りが本書の白眉か。
ただ、内容的にはデジャヴ感を拭いきれないし、
最初に設定した枠から対象を語っているだけのようにも感じる。
佐野氏のファンにはお勧めだが、そうでなければ甘粕については他に読むべき本がある。
手元にあるのは中公文庫版だが、ちくまから増補改訂版が出ている。
同書が最初に中央公論社から出たのは1975年、同書でも満映については触れられていたが、
その当時は満映については調べようもなかったのではないか。
出版以降、李香蘭=山口淑子の「李香蘭 私の半生 (新潮文庫)
」(新潮社・1987)、
山口猛の「幻のキネマ満映」(平凡社・1989)などを始め、
満映のみならず、「満州国」全体に関して調査・研究はかなり深まったように思う。
それらを挟んでの増補改定版にどのような変化があったのか、改めて気になってきた。
言うまでもないことだが、(ブラックとホワイトの違いはあるにせよ)
映画とてプロパガンダの手段であり、謀略の一環であることには変わりはない。
甘粕が国策会社である満映の理事長になったことはむしろ順当な人事ともみなせる。
文化/政治を異なった位相にあるものと捉えては、見えるものも見えてこないだろう。
佐野氏がハルビン事件をことさら取りあげ、満映が作った映画の意味や配給戦略、
あるいは川喜多との関係に注意を向けない理由はあるいはその辺りにあるのかもしれない。
因みに佐野氏は角田氏、山口氏の著作に対して「労作の名に恥じない」としつつも
「前者が軍人としての甘粕の記述に偏り、
後者の記述が満映のフィルモグラフィーに偏ったきらいがあるのは否めない。」
「両者に最も欠けているのは、満州における甘粕の豊富な資金源と、
地下茎のようにからみあった複雑な人脈である。」
(16P)との評価を記している。
余談だが、山口氏の本は平凡社ライブラリーとして文庫になっている
が、
いかにも80年代な装丁が素敵な単行本に惹かれていて未だ購入していない。
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分厚い本だが、一日で読了。
関係者、というよりはその親類縁者を執拗に探し出しての聞き取りが本書の白眉か。
ただ、内容的にはデジャヴ感を拭いきれないし、
最初に設定した枠から対象を語っているだけのようにも感じる。
佐野氏のファンにはお勧めだが、そうでなければ甘粕については他に読むべき本がある。
手元にあるのは中公文庫版だが、ちくまから増補改訂版が出ている。
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同書が最初に中央公論社から出たのは1975年、同書でも満映については触れられていたが、
その当時は満映については調べようもなかったのではないか。
出版以降、李香蘭=山口淑子の「李香蘭 私の半生 (新潮文庫)
山口猛の「幻のキネマ満映」(平凡社・1989)などを始め、
満映のみならず、「満州国」全体に関して調査・研究はかなり深まったように思う。
それらを挟んでの増補改定版にどのような変化があったのか、改めて気になってきた。
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言うまでもないことだが、(ブラックとホワイトの違いはあるにせよ)
映画とてプロパガンダの手段であり、謀略の一環であることには変わりはない。
甘粕が国策会社である満映の理事長になったことはむしろ順当な人事ともみなせる。
文化/政治を異なった位相にあるものと捉えては、見えるものも見えてこないだろう。
佐野氏がハルビン事件をことさら取りあげ、満映が作った映画の意味や配給戦略、
あるいは川喜多との関係に注意を向けない理由はあるいはその辺りにあるのかもしれない。
因みに佐野氏は角田氏、山口氏の著作に対して「労作の名に恥じない」としつつも
「前者が軍人としての甘粕の記述に偏り、
後者の記述が満映のフィルモグラフィーに偏ったきらいがあるのは否めない。」
「両者に最も欠けているのは、満州における甘粕の豊富な資金源と、
地下茎のようにからみあった複雑な人脈である。」
(16P)との評価を記している。
余談だが、山口氏の本は平凡社ライブラリーとして文庫になっている
いかにも80年代な装丁が素敵な単行本に惹かれていて未だ購入していない。
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「優雅な生活が最高の復讐である」再読
リブロポートからこの本が出たのは、奥付を見ると1984年。
1998年に原著の新版が出版され、2004年におなじ青山南さんの翻訳で
新潮文庫から決定版として出版されていた、ということを知り
両方を図書館から借り出してみました。
旧版は紫色の綺麗で小さな本、という記憶だったのですが、
どうやら記憶違いだったようで、少し和紙のようなイメージのする、
やわらかいベージュ色の紙のカバーが巻かれた本でした。
本文は色紙に刷られていて、評伝部分と写真部分では色が違えてあります。
この評伝部分の紙が(日焼けしてしまっているので良く分からないのですが)
どうやら赤紫っぽい色だったようで、その印象が残っているのかもしれません。
さて、この本は作家のフィッツジェラルドの友人で、
彼の代表作となった「夜はやさし
」の主人公のモデルと言われている
ジェラルドとセーラのマーフィ夫妻について書かれています。
彼らは1920年代のフランスで知り合いました。
マーフィ夫妻は、当時パリで活躍していた
ピカソ、レジェといったアーティストたちと親交があり、
夫のディックはゴンチャロヴァに絵を学んでいたそうです。
(昔読んだときは気がつきませんでしたが、当時のプラナリアはゴンチャロヴァを知らなかったのでしょう)
パリのアメリカ人「祖国放棄者」たちとはあまり付き合わないようにしていたようですが、
学生時代からの友人であるコール・ポーターや、ヘミングウェイとは交友を深めています。
ですから、1920年代好きにはたまらない本でもあるのですが、
実は今回の新訳決定版、なぜか読み進めるのに莫大な時間を要してしまいました。
先ほど少し旧版と見比べてみたのですが、新しく書き直された部分以外の、
もとからある部分も細かく表現が変えられているようです。
これは原著が変わっている、というよりは、訳者の推敲の結果とも思えるのですが・・・、
なぜだか旧版の文体の方が、自分の気持ちにぐっと来るようです。
旧版が出た当時は、ようやく再発見されたばかりだったジェラルドの絵ですが、
その後研究が進んだ結果、確認できる作品の点数も大幅に増えたそうです。
(といっても10点が15点になっただけですが)
新版にはその成果も収録されていますから、やはり今読むなら新版だと思うのですが、
個人的には本文の美しく設計された活字組も含めて装丁も素敵な旧版が、
(奥付に造本装幀は戸田ツトム、組版設計は府川充男とあります)
本と言うものに対するフィティッシュもあり、いとおしいかもしれません。
(全くの蛇足)
書名の「優雅な生活が最高の復讐である」と言うのは、
ジェラルドが見つけてきた古いスペインの諺だそうですが、
いまひとつ意味が取りにくいですよね。
新版のあとがきに分かり易く書かれていました。
「なんとかして優雅に暮らすことが過酷な人生への復讐でもあるのだから。」
1998年に原著の新版が出版され、2004年におなじ青山南さんの翻訳で
新潮文庫から決定版として出版されていた、ということを知り
両方を図書館から借り出してみました。
旧版は紫色の綺麗で小さな本、という記憶だったのですが、
どうやら記憶違いだったようで、少し和紙のようなイメージのする、
やわらかいベージュ色の紙のカバーが巻かれた本でした。
本文は色紙に刷られていて、評伝部分と写真部分では色が違えてあります。
この評伝部分の紙が(日焼けしてしまっているので良く分からないのですが)
どうやら赤紫っぽい色だったようで、その印象が残っているのかもしれません。
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さて、この本は作家のフィッツジェラルドの友人で、
彼の代表作となった「夜はやさし
ジェラルドとセーラのマーフィ夫妻について書かれています。
彼らは1920年代のフランスで知り合いました。
マーフィ夫妻は、当時パリで活躍していた
ピカソ、レジェといったアーティストたちと親交があり、
夫のディックはゴンチャロヴァに絵を学んでいたそうです。
(昔読んだときは気がつきませんでしたが、当時のプラナリアはゴンチャロヴァを知らなかったのでしょう)
パリのアメリカ人「祖国放棄者」たちとはあまり付き合わないようにしていたようですが、
学生時代からの友人であるコール・ポーターや、ヘミングウェイとは交友を深めています。
ですから、1920年代好きにはたまらない本でもあるのですが、
実は今回の新訳決定版、なぜか読み進めるのに莫大な時間を要してしまいました。
先ほど少し旧版と見比べてみたのですが、新しく書き直された部分以外の、
もとからある部分も細かく表現が変えられているようです。
これは原著が変わっている、というよりは、訳者の推敲の結果とも思えるのですが・・・、
なぜだか旧版の文体の方が、自分の気持ちにぐっと来るようです。
旧版が出た当時は、ようやく再発見されたばかりだったジェラルドの絵ですが、
その後研究が進んだ結果、確認できる作品の点数も大幅に増えたそうです。
(といっても10点が15点になっただけですが)
新版にはその成果も収録されていますから、やはり今読むなら新版だと思うのですが、
個人的には本文の美しく設計された活字組も含めて装丁も素敵な旧版が、
(奥付に造本装幀は戸田ツトム、組版設計は府川充男とあります)
本と言うものに対するフィティッシュもあり、いとおしいかもしれません。
(全くの蛇足)
書名の「優雅な生活が最高の復讐である」と言うのは、
ジェラルドが見つけてきた古いスペインの諺だそうですが、
いまひとつ意味が取りにくいですよね。
新版のあとがきに分かり易く書かれていました。
「なんとかして優雅に暮らすことが過酷な人生への復讐でもあるのだから。」
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10年長いか短いか
一体何年かかったのだろう??
ようやく読むことが出来ました!
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書誌データをプリントアウトした紙の裏には平成10年なんて文字もありますが、
ほんとに10年前から探しているのかなぁ?
一時期本屋さんで比較的マメにチェックしていた時期もあったけど、
最近はあまり熱心に探していた訳でもなく。
で、先日唐突に「あ、そうだ、図書館にあるかもしれない」と思い立ち
(こんなに図に世話になっているのに今まで思いつかなかったなんて謎)
調べたら、ほぼ各分館にあることが判明、
今回は予約でなく直接出向いてゲットしてきました!
で、借りてきた本書を食卓の上にホイっとおいて洗面所に行ったら
あべ弘士さんの絵を覚えていたせいか(「あらしのよるに」の方だったんですね)
一瞬のうちに子供に横領されていました(笑)
まあ、もともと子供に読ませようと思って探していたんだから、いいんだけど。
小学校3、4年生向けの絵本と言うことで、
小6生はあっという間に読み終わりはしたみたいですけど、
・・・う~ん、内容はどの程度理解しているのかなあ。
途中はじっくりなのだけれども、結論部分がちょっと唐突な気もするし。
大人ももとになった新書版を再読してみようかな。
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