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その曲線がたまらない(かも)

建築家・山田守の展覧会に行ってきました。
しゅるんとした曲線が山田の特徴。
彼の設計した御茶ノ水の聖橋や武道館、京都タワーなんかを思い浮かべて頂くと
なるほどね、と言う風に理解して頂けるのではないかと。
このように有名物件も多い山田作品ですが、
ウルトラ的にも(神奈川県にあるのに)東京都長沢浄水場なんかは定番ロケ地で、
バルタン星人はここで死んでいるとかいないとか。
そして実は私は山田の初期の最重要作品である
東京逓信病院で生まれているのですよ(ふぉっふぉっふぉっ)。

こほん。

で、小さなギャラリーなんで全容、というのはちょっと無理な訳ですが、
イントロダクションとしては良い展示だったのではないかと。
と言う訳で図録を購入、ポスターが頂けるという事で申し出たところ、
タッチの差で最後の一枚が無くなってしまったところでした。ぐすん。
でも近所の港区立郷土資料館でA4のチラシをゲットしたから良しとしましょう。

こちらでは洋風建築のパンフレットが貰えます。>みのりかわさまありがとう
去年出たばかりの区内の近代建築の調査報告書もあって、こちらは1,000円なのでお買い徳かも。

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完成!耐震リフォーム(だったんだけど)な家

やや危険な領域に踏み込んだ耐震+リフォーム工事、竣工しました。
こんな感じです→http://homepage2.nifty.com/arch_knym/news07_01.htm

やはり既存建築をいじるのは一筋縄ではいかないですね。
なんとか無事竣工して、お引渡しすることが出来ました。
キッチンは使いやすいと好評ですが、まあ、改修前が流石にあれだったんで、
当然とはいえるような気もしますが、でも素直に嬉しっす。
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震災慰霊堂に、入った。

お正月に寝正月を決め込んだバチか、なんだか無意味に忙しいプラナリアです。
で、知人が行った千葉の給水塔の写真を見て悔しくて悪態をついているのですが、
良くないですね、こういう態度。
そこで自慢することにしました。
・・・ま、悪態つくよりはまし、ということで。

お正月に家族のリクエストで江戸東京博物館に行くことになったのですが、
途中気が向いて、ちょっと寄り道して旧安田庭園を抜けて震災慰霊堂を廻って行くことにしたところ、
慰霊堂が開いていたので中に入ってみました。
震災だけでなく、戦災で犠牲になった人々も慰霊されているのは恥ずかしながら今回はじめて知りました。
(更に恥ずかしながらここがあの「陸軍被服廠跡」だったことは今・・・)
伊東忠太設計になる不思議な外観を持つ建築で、しっかり怪獣も住んでいましたが、
内部の落ち着いた雰囲気は慰霊の空間にふさわしいものである様に感じました。
で、この慰霊堂はお正月の3日間しか開堂しないそうで、偶然貴重な機会を得ることが出来た訳です。

ところで今年の1/17で阪神大震災から12年たちました。仏教的には13回忌であり、一つの節目ですが、
まだまだいろいろな問題が残っている様子、ただ、懸案だった被災マンションの建て替えは、
支援措置の打ち切りへと行政が動いた結果、駆け込み的に進展しているのだとか。
12年目のこの年に慰霊堂の内部に入り、震災、戦災の記録を見る機会を得たことは
建築家として都市や建築の問題をきちんと見据えるように、との声だったのかもしれません。
建築家が如何にして都市や建築の状況に発言できるか、じつは経済の前に全く無力であると言う現実に
静かに対峙していきたいと改めて思います。

あ、なんか自慢じゃなくなっちゃった(笑)
遅ればせの年頭の所感、っていう感じでしょうか。

がんばります。
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シュトラウスはかく戦かった

戦時、あるいは専制体制下の芸術家の在りよう、
プロパガンダと芸術の関係、見たいなことに昔から関心があって、
時々関連するテーマの本を読んだりしてみます。
まあ、フロントとか名取洋之助とか報研とか、
ロシア・アバンギャルドとかイタリア・ラショナリズムとかナチとか、
最近では李香蘭とか万映とかが、その方面で引っかかってくる訳で、
じつは李香蘭がマイブームなんですがそれは又改めてやる予定でして、
今回はナチです。

ナチと芸術家と言えば建築家のシュペーアや、
映像作家のレニ・リーフェンシュタールなどの生き様が注目かもしれませんが、
しかし今回はR.シュトラウスです、あの「2001年宇宙の旅」の。
(そう、私の認識はその程度なのです、すみません)

R.シュトラウスはナチが権力を握る前から世界的な音楽家として
確固たる地位を築いていたそうで、その上当人はユダヤ人ではなかったとなると
「ゲルマン文化の再興」を唱えるナチは当然取り込みたくなる訳です。
ところが当のシュトラウスは「帝国音楽院総裁」をほいほいと引き受けながら
ユダヤ人作家・スュテファン・ツヴァイクに脚本を書いてもらったオペラ
無口な女」・・・しかも内容は喜劇・・・の制作・上演をしちゃうという。
その辺のシュトラウスの「戦い」を描いたのがこの本です。
第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の“喜劇的”闘争第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の“喜劇的”闘争
山田 由美子

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この本はなかなか面白くて、読み終わると思わず「シュトラウス、偉い!」
となってしまう訳ですが、ナチ側にはナチ側の事情と言うものがありまして。
件の「無口な女」の初演は1935年ということですから、
ナチの権力掌握(1933年)とベルリン・オリンピック(1936年)間の出来事。
この間はナチの芸術への対応が、反政府側から支配者・権力側になったことによって
ただただヒステリックに「ユダヤ」「国際主義」等々を攻撃するだけの活動から
現実の文化政策として実行していく必要がでてくる、という質的転換の時期だったようです。
その過程でのナチの重要なイデオローグ、論客ではあるが、官僚機構に基盤をもてなかった、
そしてそれ故に常に原理主義的姿勢をとるローゼンベルクと、
非常に老獪なテクノクラートとしての側面をもち、ナチ政権内部に文化政策を実行する上での
強固な官僚機構(宣伝省)を造ることに成功したゲッベルスとの
文化政策の覇権を巡る闘争も絡み・・・、といったあたりをがっちり書いた研究書がこちら。
第三帝国の音楽第三帝国の音楽
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個々の音楽家の行動の詳細・是非は他書に譲り、ナチの音楽政策をその担い手である
官僚機構の変遷や各種の音楽団体の状況、劇場やラジオ、楽譜出版、レコードに至るまでの
「実際の」上演・出版・放送活動のレパートリーのリサーチ・分析などを通じて明らかにしようと言う
実証的でリアルな本で、なかなか面白いです。
オペラのレパートリーとか、無知な私には残念ながら良くわかんないんですけど(笑)。
(バルトーク=同盟国人の音楽やジャズに対するナチの曖昧なスタンスは興味深い)
この本の内容をバックにシュトラウスの話を読むことで、より一層立体的に理解が深まったのではないかと。

ところでこの本の表紙の写真は「1938年5月28日にディッセルドルフ市立ホールにおける
第一回帝国音楽祭で演奏の指揮をとるリヒャルト・シュトラウス(帝国音楽院総裁)」、です。
仮に「ナチに協力する気は無かった」云々、といった当人の意識があったとしても
この映像のインパクトを考えると殆ど無力、何の関係も無くなってしまいますよね。
しかもそこでの音楽が素晴らしいものであったとすれば尚更・・・。
演出に長けたナチならでは、とは思いますが、いやはや、難しいものです。



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今度は

市政会館。

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