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納涼会見記・上海1945
ある夕暮方、青々とした天幕に幾つもの白雲が浮かび、草地の陽光が消えた頃、
テーブルの横には椅子が置かれ、客人たちがコーヒーを啜りながら談話している。
話題はごく自然に泉のように流れ、・・・(中略)・・・皆様御覧あれ、今話が賑やかに弾んで・・・。
(「李香蘭と東アジア」(2001年・東京大学出版会)より引用、以下同じ)
これは「雑誌」復刊37号(1945年8月号・最終号)に掲載された座談会「納涼会見記」の冒頭文です。
座談会が行われたのは1945年7月22日、つまり日本の敗戦まであと一月を切った時期。
出席者は女優の李香蘭(25)、作家の張愛玲(24)、他中国人ジャーナリスト2名。
来賓は松本大尉、中華電影副社長の川喜多長政(42)、他3名。
その他に雑誌社の記者2名。
なんとも風雅な納涼会風景では、あります。ありますが・・・。
李香蘭:
(もしある映画に出演したいと思い、張さんに脚本をお願いするとしたら、
どのような役をおやりになりたいですか?、との問いに)
「(あるミュージカル映画の脚本案に関して) 私はこの脚本を読んで、どうも何かもの足りないような気が致しまして・・・。」
(川喜多と内緒話の後、彼が代弁して)
「彼女は映画の中でこれまでずっと、日本の美男子を愛する中国女性というパターンの役柄に扮してきました。
しかし本人はそうしたことを望んではおりません。
彼女が思い描いている恋愛物語とはありきたりでは駄目で波浪のごときものであり、
浅薄ではなく深刻なものなのです。」
(李香蘭、さらに張愛玲とひそひそ話しをする)
(今度は張愛玲が代弁して)
「彼女が言うのは、20歳の女性と26歳の女性では主演したいと思う映画が異なるということです。
それは心境の変化によるものだからです。
あまりに平凡でお決まりの愛ではなく、「激情」の愛を求めているのです。」
張愛玲:
(この一年の体験を元に李香蘭主演の脚本を書くとして、主人公はどんな女性になるか、という問いに答えて)
「そんな脚本を書いても、たぶん李さんの個性とあまり合わないでしょう。
私は彼女の歌う歌を聞くといつも、彼女は人間でなくて仙女みたいな気がするのです。
(中略)
もしも李さんのために脚本を書くのであれば、(「曼世流芳」より)もっと芸術的であるべきだと思います。
もともとミュージカル映画というのは、リアリズムで書けるものではありません。
大体どこに、話をしていたかと思うと突然歌いだしたりする人が本当に入るでしょう?
でも、映画の芸術化と言うのは、ハリウッドでさえもまだ実験の最中でして、
今この場でそこまでは語ることはできないと思います。
(中略)
本来の東洋の映画にはきっと希望があります。なぜなら視覚芸術は東洋人にとって、
とりわけ気質的に親しみやすいからです。
李さんのために考えて見ますと、今しばらくはやはりリサイタルになさった方がいいでしょう。」
「雑誌」は上海で発行されていた親日派の中国語による文芸中心の総合誌。
李香蘭は中国人であると宣伝されていたが、実は日本人。
1943年に中華電影が制作した映画「曼世流芳」で中国全土で人気爆発、
それをきっかけに満映を退社し、当時は上海の川喜多の保護下にあった。
張愛玲は上海モダニズムの旗手として人気沸騰中の作家。
戦後は共産党政権を忌避して香港を経てアメリカに亡命した。
中国人ジャーナリストは親日派として戦後は日本に亡命したり、逮捕されて服役したり。
松本大尉は・・・一言も発言しない。軍のお目付け役??
川喜多は外国映画の輸入配給で戦前から名を成した映画人で、
軍の意向で作られた中華電影公司に来ていたが、既に映画が作れる環境ではなくなり。
そして記者は・・・実は中国共産党の地下秘密工作員、だったらしい。
賑やかに自然にっていってますが、この内容は凄いですよ。
満映の映画をみんなしてバッサリ切り捨ててるし
(もともと川喜多はアンチ満映を条件に中華電影に入ったわけだが)、
李香蘭が中国人ではない、ということを張愛玲は知ってか知らずか、物凄い切れ味のコメントだし。
そもそも軍も百も承知で川喜多を上海に呼んでいる訳だし。
情報戦、宣撫工作、総力戦の一部としての文化戦・・・
戦時下の文化というのはこのような極めて政治的な場におかれてしまう訳ですが、
川喜多や李香蘭は終戦後も中国の映画人との信頼関係が続いたことを考えるに、
そういった状況下で芸術家として如何に処すべきか、何が可能か、考えさせられてしまいます。
それにしても敗戦直前にこのような会話がなされ、活字になった上海と言う場所は、やはり魔都、ですね。
コーヒーだってあるし。
以上、延々と引用しつつ記事を書いたのは、前に書いたエントリー「「李香蘭って」なんだ?」で、
何故「だれだ?」ではなく「なんだ?」にしたココロの説明みたいなものか知らん。
上海、がなぜこうも人を引き付けるのか、その一端もわかるような気もするし?
張愛玲と甘粕・満映は、またいづれ。
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人前でしゃべる
先月、今月と二月続けてシンポジウムでしゃべらなければいけない羽目に陥りました。
先月はパネリストとして、昨日は進行役としてのお役目。
(お役目、というのは個人として頼まれているのではなくて、職能団体の関係で振られているから。)
いやあ、緊張しますね。
メモとかとっていても字がへろへろで(緊張で手が震えているんだよ)我ながら情けがない。
昨日のパネリストの方々は僕と同じかもっと若い年齢だったのですが、
皆様人気建築家、人気評論家だけあって個性的なしゃべりのスタイルが確立されていて見事なこと!
こちらも場数を踏めば少しはましになるのか知らん。
考えてもむなしいのであまり「ああいえば良かった、こういえば良かった」
という事は考えないようにしているのですが、
「それ(=建築の価値をいかに社会と共有するか)はカーサブルータスにまかせておけば!?」
という発言に対しては
「それじゃあ東京人や散歩の達人の立場がないでしょう?(笑)」
位は言えるようになりたいです。
先月はパネリストとして、昨日は進行役としてのお役目。
(お役目、というのは個人として頼まれているのではなくて、職能団体の関係で振られているから。)
いやあ、緊張しますね。
メモとかとっていても字がへろへろで(緊張で手が震えているんだよ)我ながら情けがない。
昨日のパネリストの方々は僕と同じかもっと若い年齢だったのですが、
皆様人気建築家、人気評論家だけあって個性的なしゃべりのスタイルが確立されていて見事なこと!
こちらも場数を踏めば少しはましになるのか知らん。
考えてもむなしいのであまり「ああいえば良かった、こういえば良かった」
という事は考えないようにしているのですが、
「それ(=建築の価値をいかに社会と共有するか)はカーサブルータスにまかせておけば!?」
という発言に対しては
「それじゃあ東京人や散歩の達人の立場がないでしょう?(笑)」
位は言えるようになりたいです。
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「李香蘭」って、なんだ?
取り敢えず「李香蘭」というのは、
中国生まれ、中国育ちの日本人歌手・映画俳優の「山口淑子」さんの「芸名」。
・・・なのですが、「李香蘭」がデビューしたのはかの傀儡国家「満州国」の国策映画会社「満映」。
というわけで時代に翻弄されつつ昭和を生きた女性の波乱万丈な物語が生まれたのでした。
で、その「李香蘭」の伝記といえば、下記が決定版と言えるでしょう。
1897年に単行本がでて、1990年に文庫化されています。
(双方の異同はざっとみたところ後書きだけのようです)
「李香蘭」だった山口淑子さんご自身が書いているので「自伝」ともいえる訳ですが、
「自伝」に欠けがちな客観性を藤原作弥さんと組むことで回避しようと言う意図で書かれている辺りに
山口さんの並々ならぬ「李香蘭」に対する意志を感じさせる、志の高い名著であります。
先日紹介した「「李香蘭」を生きて」はこの本をベースに簡略化して読みやすくしたような趣な訳ですが、
内容の絞込み・記述の省略により読者の誤解・誤読の可能性は(当たり前ですが)強まってしまいます。
が、登場人物の当時の心情や行動の真意に関してある意味都合よく誤読してくれるように、
意識的・戦略的に構成している部分もあるような気がしないでもない、
その意味ではやや老獪な本ともいえるかも・・・な印象も。
山口淑子さんはもう一冊自伝を書かれていて、
それが1993年に出版された「戦争と平和と歌 李香蘭心の道」です。
この本には前掲書では省かれている戦後の「山口淑子」についても書かれていて、
実はこちらも波乱万丈!なのですが、
如何せん「私の半生」のような徹底的なリサーチを元に書かれた本ではないので
ややもの足りない感がすることは否めません。
ただ、時と共に少しずつ明らかになってきている事実などもあることが分かり、その点は興味深いです。
その戦後の山口淑子さんですが、彫刻家のイサム・ノグチと結婚していたことがあるのですが、
結婚後にアメリカに再渡航しようとしていつまでもビザが降りない、という事態に遭遇します。
当時のアメリカはマッカーシー旋風が吹き荒れていたのでその影響であろう、として
上記の本のなかでも色々と理由が推理されていたのですが、その辺りの詳しい話が
ドウス・昌代さんが書かれた「イサム・ノグチ~宿命の越境者」にかなり詳しく出てきます。
この本のリサーチの徹底ぶりもかなり凄いと思いますが、
この件に関しては情報公開法を利用して入手したFBIのイサム・ノグチ関連ファイル、
山口淑子関連ファイル(ノグチの倍の厚さがあったらしい)をも参照して記述されています。
読むとかなりダークな気持ちになりますが、こういった書類がきちんと保管されていて、
しかるべき時が経てば公開されるアメリカと言う国の深さも感じさせられますね。
あと、「私の半生」をしっかり読むと「李香蘭」は戦争終結と共に消えたのではないことが分かります。
・・・抽象的な意味ではなくて、香港映画に「李香蘭」として出演しているのですよ!
そんな関連でアジア(中国語圏)映画における李香蘭、そこでまた歴史が折りかえって
満映の位置・意味、そっから戦中日本の文化政策の遺産(?)についての興味に繋がっちゃうんですが、
取り敢えずむちゃくちゃ面白かったのがこれ。
一応学術書で、表題になったシンポジウムの記録でもあるのですが、一気に読みました。
この版元の本は高くてホイホイ買う訳に行かないのが難点ですが、
なんとか図書館で買って貰うなどしてして読みましょう!(案外所有率高いかも)
因みにアマゾンでレビュー書いているのは今のところお一方でこの人の評価で☆☆になってますが、
まさに、この方のが期待していたのとは別のテーマで、本の構成が行なわれただけでしょう。
僕も張愛玲、気にになってますけどね。
■070220 一部の文章・語句を訂正しました
中国生まれ、中国育ちの日本人歌手・映画俳優の「山口淑子」さんの「芸名」。
・・・なのですが、「李香蘭」がデビューしたのはかの傀儡国家「満州国」の国策映画会社「満映」。
というわけで時代に翻弄されつつ昭和を生きた女性の波乱万丈な物語が生まれたのでした。
で、その「李香蘭」の伝記といえば、下記が決定版と言えるでしょう。
1897年に単行本がでて、1990年に文庫化されています。
(双方の異同はざっとみたところ後書きだけのようです)
李香蘭 私の半生 山口 淑子 藤原 作弥 新潮社 1990-12 売り上げランキング : 17865 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「李香蘭」だった山口淑子さんご自身が書いているので「自伝」ともいえる訳ですが、
「自伝」に欠けがちな客観性を藤原作弥さんと組むことで回避しようと言う意図で書かれている辺りに
山口さんの並々ならぬ「李香蘭」に対する意志を感じさせる、志の高い名著であります。
先日紹介した「「李香蘭」を生きて」はこの本をベースに簡略化して読みやすくしたような趣な訳ですが、
内容の絞込み・記述の省略により読者の誤解・誤読の可能性は(当たり前ですが)強まってしまいます。
が、登場人物の当時の心情や行動の真意に関してある意味都合よく誤読してくれるように、
意識的・戦略的に構成している部分もあるような気がしないでもない、
その意味ではやや老獪な本ともいえるかも・・・な印象も。
山口淑子さんはもう一冊自伝を書かれていて、
それが1993年に出版された「戦争と平和と歌 李香蘭心の道」です。
この本には前掲書では省かれている戦後の「山口淑子」についても書かれていて、
実はこちらも波乱万丈!なのですが、
如何せん「私の半生」のような徹底的なリサーチを元に書かれた本ではないので
ややもの足りない感がすることは否めません。
ただ、時と共に少しずつ明らかになってきている事実などもあることが分かり、その点は興味深いです。
その戦後の山口淑子さんですが、彫刻家のイサム・ノグチと結婚していたことがあるのですが、
結婚後にアメリカに再渡航しようとしていつまでもビザが降りない、という事態に遭遇します。
当時のアメリカはマッカーシー旋風が吹き荒れていたのでその影響であろう、として
上記の本のなかでも色々と理由が推理されていたのですが、その辺りの詳しい話が
ドウス・昌代さんが書かれた「イサム・ノグチ~宿命の越境者」にかなり詳しく出てきます。
イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者 ドウス 昌代 講談社 2003-07 売り上げランキング : 16664 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本のリサーチの徹底ぶりもかなり凄いと思いますが、
この件に関しては情報公開法を利用して入手したFBIのイサム・ノグチ関連ファイル、
山口淑子関連ファイル(ノグチの倍の厚さがあったらしい)をも参照して記述されています。
読むとかなりダークな気持ちになりますが、こういった書類がきちんと保管されていて、
しかるべき時が経てば公開されるアメリカと言う国の深さも感じさせられますね。
あと、「私の半生」をしっかり読むと「李香蘭」は戦争終結と共に消えたのではないことが分かります。
・・・抽象的な意味ではなくて、香港映画に「李香蘭」として出演しているのですよ!
そんな関連でアジア(中国語圏)映画における李香蘭、そこでまた歴史が折りかえって
満映の位置・意味、そっから戦中日本の文化政策の遺産(?)についての興味に繋がっちゃうんですが、
取り敢えずむちゃくちゃ面白かったのがこれ。
李香蘭と東アジア 四方田 犬彦 東京大学出版会 2001-12 売り上げランキング : 125765 おすすめ平均 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
一応学術書で、表題になったシンポジウムの記録でもあるのですが、一気に読みました。
この版元の本は高くてホイホイ買う訳に行かないのが難点ですが、
なんとか図書館で買って貰うなどしてして読みましょう!(案外所有率高いかも)
因みにアマゾンでレビュー書いているのは今のところお一方でこの人の評価で☆☆になってますが、
まさに、この方のが期待していたのとは別のテーマで、本の構成が行なわれただけでしょう。
僕も張愛玲、気にになってますけどね。
■070220 一部の文章・語句を訂正しました
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