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苦手だと寄ってこない?

某証券会社のMMFを降ろすことにしたのですが、インターネットで手続きすると
わざわざ支店まで行かなくても銀行に振り込むことが出来ると言うではないですが。
それで喜んでネットから解約してみたのですが、実は

・解約(売却)手続きしても証券会社の自分の口座への入金は翌日
・更に朝6:00~9:30に振り込み手続きをしないと銀行口座への入金はさらにその翌日
・いづれにせよ2度アクセスしないと手続きが終了しない。振込みの予約は出来ない。

と言うことが判明。やれやれ、これじゃあ支店まで行った方が早かったよ。
(ATMだとその場で出金できるのに)

で、支店に行く。
「担当者に電話して頂くのが一番早いです。振込み手数料も弊社負担ですし。」
うう、株をやらない人にはあんまり関係なかったか>ネット。
残高が簡単に確認できるのは便利だけど。

さて、年末と言えば年末調整。
自分で自分に払うようなものですが(給料)、会社と個人なんで結構面倒くさい。
源泉徴収された/した所得税は年明け早々に納めないといけないし、
まあ、例年一生懸命やっている訳です。
でも年に一度しかやらないんで憶えないんだわ、書類の書き方。
毎年微妙に変るし。
で。一応できたと思います。法定調書関係も作りました。

でも・・・なんか不安だなあ。行ってきちゃおうかな、税務署。
その方が気分スッキリするし。

で、税務署に行く。
「細かくて申し訳ありません、そこも100円以下は切捨てでお願いします。」
だってぇ(泣)。税額間違ってました、50円。
・・・せっかく書いたのに全部変ってしまうじゃないの。一人分だけど。

20分100円のコインパーキング(確定申告用のプレファブ建ててるので駐車場が無かったのよ)、
24分かかったので200円支払ったとさ。うきき。

まあ、苦手なんです、お金関係のこと(も)。
来年こそ、寄ってきて~!!
いろいろと!
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昭和の終わりの昭和の記録

某国営放送が1986年に放送した「ドキュメント昭和」シリーズを基にした書籍を読む。

日本の選択〈2〉 魔都上海 十万の日本人
日本の選択〈4〉 プロパガンダ映画のたどった道

元の番組タイトルはそれぞれ「上海共同租界」「トーキーは世界を目指す」。
20年も前の本なので中身はどうよ?と思われる向きもあるかもしれませんが、結構面白い。

まず上海本ですが、こちらは特に新しい事などは出てこない(と思う)のですが、
取材した1986年と言うのは改革開放路線(1978~)以降、天安門事件(1989)以前。
本を読むと上海市内をかなり自由に・精力的に動き廻れていて、
しかもバンドだけでなく虹口(←凡ミス訂正)の旧日本人居留地帯などの建築もリサーチしている感じです。
ここ10年くらい上海は物凄い勢いで建物を壊していて、
残っている当時の建物もどんどんなくなっているらしい。
なのでこれは是非映像を見たい、という気にさせられます。
また、当時上海で暮らしていた人のナマの証言(こちらも時間的にギリギリ?)が
取れているのも貴重(工場と社宅を往復するだけのせまい日本人社会で暮らしてる人が多かったみたい)。

映画本は上海本より更に面白いです。
まず、題が「トーキーは世界を目指す」から「プロパガンダ映画のたどった道」に変っているのですが、
実は本書はサイレントからトーキーへの技術的変化を背景とした映画界の変化、
「国家」の登場(トーキーだと言語が絡む、サイレント映画には言葉の壁は無い!)を描くと言う
非常に面白い、メディア論的視点で構成されているのです(だからどっちの題も正解)。
しかもさすが国営放送、ハリウッド、ポツダム(ウーファー社があった)と
ガンガン出かけていて取材力も資金力もすごい。
ハリウッド取材時の臨場感溢れるエピソードも面白いし、ドイツはまだ東ドイツだし。
映像が気になると言う意味では番組も見てみたいですが、
書籍としても幅広い内容を上手くコンパクトに纏めてあるので超お勧めです。
古本屋さんではかなり安いみたいなので、見つけたら即買いですね。
(あはは、例によって図書館から借りました)
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スメラとシュメールって・・・

先日原節子の関係で「スメラ塾」に触れましたが、
スメラ塾とは何?戦前の国粋主義団体、と言うことしか知らないな、
ということでググッて見ましたが、・・・簡単には見つからず。
う~ん、マイナーなのか(当然か)。
ところがところが、ちゃんとスメラを追いかけいる方がいらっしゃいました!
jyunkuさんのBLOG「神保町系オタオタ日記」内に[スメラ学塾]というカテゴリーがあり、
しかもスタートは坂倉準三だ!!
→ 4/15のエントリー「 情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その1)

上記のBLOGに石原康子さんという方が書かれた
原智恵子 伝説のピアニスト (ベスト新書)」と言う書籍にスメラが登原する、
とあったので、さっそく図書館から借りてみました。

同書によると、原智恵子(1914-2001)は、戦前から戦後にかけて超人気であったにもかかわらず、
何故か現在の日本では名前が忘れ去られている名ピアニストなんだそうです。
で、彼女は戦前フランスで修行していて(たぶん1928-32&35-40)、
その時の交友関係(というか旦那さん@フランス仲間関係)からスメラと係わって来るのでした。

同書やjyunkuさんのBLOGを読むと、この団体は;
・フランス留学or遊学で知り合った人々が中心になって興したとオボシキ
 「クラブ・シュメール」と言う団体(坂倉事務所が本拠地?)と人脈的にダブるらしい。
・軍などからの資金提供もあってなかなか精力的な活動をしていた。
 (因みに名誉塾長は高松宮(間違えました、いかんいかん)、塾長は末次信正(海軍大将)、副塾長は藤山愛一郎)
*石川本ではスメラとしていて「シュメール」との記述は無い。
 また、国粋団体であることもぼかしてある。

また、関連人物が多く係わっているらしい「日本世界文化復興会」と言う団体は
坂倉さんの日本デビュー作である(展示設計)「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」の主催者でありましたそうで。。
当時色々な芸術家・デザイナーが国策に沿った活動をすることで
軍や国からお金やらなんやらを引き出そうと蠢いていた中で、
この団体はなかなか成果を上げていますね。
ある意味本気で国粋だったからであればこそ、の成果かも知れません。

ところで。

クラブ・シュメールと言う団体が出てきましたが、これは一体何か?というと・・・
簡単に言ってしまうと「日本人はシュメール人の末裔である」という思想を持った人々の集まりらしい。

シュメール→スメラ→皇(すめら)

ええぇ、なんでそれが国粋なの?これこそトンデモじゃないっ?、
という意見は実は当時からあったらしく、その辺り興味がある方は
是非jyunkuさんのBLOGを熟読してください(かなりのボリュームですが)。

ちょびっと話は変りますが、昔、晩年の浜口隆一さん(丹下健三さんと東大で同期だった建築評論家)が
日ユ同祖論を唱える現場に出くわしたことがあります。
(シンポジウムの席でですから多くの方が聞いておられていたハズですが、活字にはならなかった・・・?)
こちらもトンデモと言ってしまえばそれまでだけど、
いわゆるインテリと言われる人々のこの辺のメンタリティというのは何なんだろうか?、ううむ、
とう訳でこちらを再読中。

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お、今年の漢字が出てきたな、ということでお後が宜しいようで。
長くてごめんね。

追記;
記事を書いていて12/11に坂倉準三の夫人で西村伊作(文化学院創立者)の四女である
坂倉ユリさんが亡くなったことを知りました。
享年95歳。
ご冥福をお祈りいたします。
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ささやかだけど

ちわみさんのBLOGで東京會舘でパネル展が開催されていることを教えて頂く。
→「ねこそぎ記念」 東京會舘ロビーの写真展と高畠達四郎

昨日所要で某大手設計事務所の会議室に伺ったところ、
こちらのビルと東京會舘が繋がっていることが判明。
(うう、さすが丸の内。アチコチでネットワークが形成されている・・・)
でもまあ外から廻って行って来ました。
ほんとうにささやかな展示ですが、愛があって嬉しいかも。
お近くにお出かけの際はちょこっと覗いて見てください。
ロビーのまっすぐ奥で30日までこじんまりと開催中です。

東京會舘HPの案内;85周年記念イベントの最後に奥ゆかしく案内されています。

写真は旧東京會舘の模型です。なかなか洒落た建築ですね。インテリアはちとくどいかも(笑)
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バウハウスに行っちゃった女(ひと)

山脇道子さんの「バウハウスと茶の湯」(新潮社・1995年)を読む。
以前にも読んだことがあるのだけれども、古書で倍以上の値段が付いているというので
(安値で手に入らないかと思った私がアサハカでした)図書館から借り出して再読。
道子氏へのロングインタビューを川畑直道氏他が纏め、資料等を加える形で構成されています。

さて、著者は「お父さんはお茶だけたてて毎日過ごしています」、
というような大地主のお家に生まれた超お嬢さんで、
その彼女と12歳年上の建築家(藤田→山脇 巌)が逆玉お見合い結婚することになりまして、
さて、その建築家が出した婿入りの条件がこともあろうに「バウハウスへの留学」。
このなんのこっちゃな条件を山脇家はあっさり受け入れたので
新婚旅行ならぬ新婚留学に夫と旅立つことになった彼女(付いていっただけ)ですが、
なんと旦那の取り計らいで彼女もバウハウスに入学することになってしまったのです。

・・・という嘘みたいな話から始まる本書なのですが、
デザイン教育を受けたことも無い18歳の彼女はなかなかの才能を発揮、
半年後には無事専門課程の織物科(当時の織物と言うものの重要性が垣間見えますね)に進学。
(デッサウバウハウスは1932年に閉鎖されたので卒業は出来なかった)

帰国後はモガの代表として一世を風靡した時期もあるとのこと(まだ20代前半!)、
確かに和服のお見合い写真だとイマイチな彼女ですが(すみません)、
アーモンド形のくりっとした眼と意志の強そうな口元の彼女の洋装姿はとにかくカッコイイ。
(「婦人画報」のファッションモデルになった写真(1933年)が掲載されていますが・・・最高です
 撮影場所が新居を構えた徳田ビル(お父さんが借りてくれたんだそうで)なのも凄いですが)
交友関係には名取洋之助やB.タウトの名前も見え興味深いですが、
(名取やタウト側からは言及されていただろうか?)
戦争中の活動については触れられていないのが残念、でも軽々に話せないのかも。
育児休暇っぽかった感じでされっと流されています。

工芸とモダニズムという視点からは、装飾的な和食器しかなく、仕様が無いので特注で
東洋陶器(TOTO、ですね)に白磁で無地の和食器を焼かせたとのエピソード有(1934年頃らしい)、
これは工芸・民芸方面の方々に何か影響を与えたりしたのだろうか?

などなど話は多岐に亘って興味深いネタ満載で面白いのですが、
実は分量的にはあまり多くないし(すぐ読めちゃいます)女性の伝記としても面白いと思いますので、
どこかの出版社で文庫化して安価に手に入れられるようにしてくれないかな~。
川畑直道さんの細部まで気配りの行き届いたバウハウスな装丁も捨て難いんだけどね。

071221訂正:
建築家・山脇巌さんの旧姓は蔵田ではなく藤田の誤りでしたので訂正しました。
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