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桐生うろうろ(あれこれ散財編)

さて、桐生駅方面に戻って、ホテルに一番近かったのに後回しにしててしまった絹撚記念館へ。
市の文化財課が入っているので、本当はここに最初に行って情報収集すべきだったか?
(土日も職員の方が交代で出ているとか)
外観は一見RC造風なのだが実は木骨石造で、石は表には一切見えてこないけど、大谷石らしい。
あれこれおしゃべりに付き合っていただき、資料等を頂いて散財金額:0円。

そして本日最後の物件は、ノコギリ屋根を改修したヘアメイク・アッシュ。
プラナリアの髪の毛はかなり末期症状。
鰻屋さん開店まで若干時間があったんで試しに「予約してないんですけどぉ~」と聞いてみると、
すぐ出来るということだったので、カットして貰うことにする。
大空間をうまく補設したインテリア、歴史的建造物の活用の妙味をまさに身を切って体験。
スタイリストさんやスタッフさんから色々地元情報を教えてもらって散財金額:4,800円。

そしていよいよ鰻の「泉新」で鰻重(ってこれしかメニューはないらしい)を摂取。
妙にセマコイ不思議な席に案内されて、黙々と鰻重を食して散財金額:2,400円。

帰りはマックで高速の混み具合を確認したいと思い、駅そばにあるはずのマックを探す。
うろ覚えな記憶を頼りに探したんでやや手間取るも、無事発見。
ところが駐車場がない。試しに路上からアクセスを試みるも、やはり電波が弱くで駄目。
しょうがないので朝行ったマックを記憶を頼りに探すことに。
(こんなにマックの看板を見つけてやったーと思うことになるとは思わなかったよ。。)
ろころがYahoo!BBのステッカーが見当たらないので聞いたところ
「すみません、わかりません」という頼りの無い返答。
帰ろうかと思いましたが、試しにパソを開いてみれば、ちゃんと繋がるではないか。
通りがかったスタッフにつながりますよ、と一応指摘して散財金額:200円。

さて、いよいよ岐路につくことにしたのですが、関越は混んでいそうなので
東北道まで出ることに方針を転換。
ショッピングモールから出て逆方向に走っちゃったんで渡良瀬川を二度わたる羽目になりましたが、
間違えたおかけで昼偶然通りかかった銭湯「桜湯」を再度発見!
髪の毛がちょっとちくちくするし、ということで一風呂浴びて帰ることに。
せっかくのヘアメイクが湯気で微妙に崩れてしまった、で散財金額:330円。

ちょっぴり日常っぽいこともしてみた桐生建築探訪もこれにて無事終了となりました。
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桐生うろうろ(のこぎりうろうろ編)

さてさて途中で2~3棟のノコギリ屋根を横目で眺めつつ着いた群馬大学同窓記念会館
写真を見て予想していたよりもずっと大きな建物だったのでちょっとびっくり。
日曜日は中に入れないので、窓から覗いて我慢我慢。
木造下見板貼ながら貼り方向を変えたり、一部銅版にしたり、
細かい細工に頼らないデザインマインドの感じられる、なかなか質の高い建築。
守衛所もかわいい。

続いてお約束?のノコギリ屋根巡りをこなし、桐生倶楽部へ。
いっやあ、驚きました。前庭を持った瀟洒なスパニッシュが輝いてましたよ。
特にプラナリアは飲み屋街を抜けてアクセスしてしまったので、驚き百倍(笑)
でも、こちらも日曜日のせいか内部には入れず。休館日なし、じゃなかったのか・・・。

その後は昨日チェックした金善ビル、西公民館(増築が面白い)、織物会館(大味)をカメラに収め、
あれ、まだ2時?そういえば昼食べてないなぁ・・・。どうしよう(やや怠けモード)。
いやいや、そうだ少し離れていて車でしかいけない場所なのに
3時までしか開いていない、ということなのでパスしようと思っていた
自動車博物館(MAEHARA20th)へ行ったらいいではないか。車の中にはおやつもあるし。

ということで、予定より早めに自転車を返却し、車で出かけることに。
少し道に迷いましたが、なんとか時間前に到着。
外観的には桐生のノコギリ屋根で一番豪華(大谷石張りでお城風)なのでは?
すぐ隣にあるお屋敷もかなり凄そうではあるんだけど、個人宅なので詳細不明。
(設計大江新太郎といってもおかしくない、格調高い和風建築が門から少しだけ見えるのがまた・・・)

すぐ近くにある重要文化財の彦部家住宅(江戸初期)に予定外だけど寄ることにする。
で、これがものすごく良かった。500円払って正解。
主屋だけでなく敷地全体が保全されており、しかも現在もお住まいだというのも素晴らしい。
と言ってもあまりまったりはしていられない、まだ2軒市内に未見のものがあるのだっ!
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桐生うろうろ(自転車でGO!編)

桐生にレンタサイクルってないのかなーと思って検索したら、
「教えてGoo」に上毛電鉄の西桐生駅で無料で貸してくれると書いてありびっくり。
実は他の場所にもあったんだけど(有隣館と絹撚会館)事前には探しきれずで、
しかも車も一日止めて300円!ということで、ここを起点にした建築巡りの行程を考えてみる。
が、ぜんぜんまとまらないんで、ま、いっかということにして就寝。

結局朝7時半に起きて、そのまま勢いで8時半ごろにチェックアウトし、
フィルムを買うために某家電量販店をさがしつつ車で日本織物発電所の煉瓦遺構へ。
遺構は読みどおりにすぐに見つかったのだけれども、量販店の方はうまく見つけられず、
そのまま元宿浄水場、ままよとばかり桐生明治館と周り、ついにここでフィルム切れ。
ううう、と思いつつ市内方面に向かっていると、おお、ロードサイドにショッピングモールがあるではないか。
10時の開店まで15分ほど時間があったので、マックで朝ごはんして待機。
フィルムは自力では見つけられず時間を浪費、お店の人に教えてもらってようやっと購入。

ようやくあちこち廻るための道具がそろったので、いよいよ西桐生駅に行く。
まずは駅舎をしっかりチェック。交差点に面した駅なので、なかなか目立ちます。
次は水道山記念館(旧配水事務所)等の水道施設を目指すが、この段取りは大失敗。
水道山というだけあって、これらの水道施設は小高い山の上にあるのです。
急坂を自転車を押して登ったら完全に息が切れ、中学生に元気良く挨拶されるも
ぜいぜい言って声が出ず、肯くのが精一杯というていたらく。
車で行けばよかったー(大反省)。
記念館はちょっとだけライト風なスクラッチタイル貼りの上品な建物。
築年が同じでデザインボキャブラリーにも共通点があるように感じられる
元宿浄水場の諸施設より、洗練されているように見えるのは何故?

登りは大変だったけど、下りは快調よ、ということで、宮本町方面に向かい、
住宅地をジグザグに通り抜け、群馬大にじわじわと接近を図る。
ここら辺は古くから開発された住宅地らしく、洋館つきのかわいい文化住宅が散見されるのだが、
惜しむらくは全体的に状態があまりよくない。
そんな中で角地の目立つ位置にあり、デザインも状態もよいお家があった!と思ったら、
しっかり登録文化財の銘盤がついていました。

(09.03.30.長かったので分割しました)
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足尾から桐生へ

足尾銅山に行ってきました。
今日は足尾から銅街道を下って、桐生泊です。

中学のころに社会科で習った鉱毒事件の現場でもある足尾に出かけることになったのは、
宇都宮大学が開催する足尾銅山に関するシンポジウムで
某職能団体でお世話になっている方が発表をされるということで、
それをひとつのきっかけに、何名かで「よしっ行くぞ」というような感じで盛り上がったから。

現地に予定よりスムースに着いたので、空いた時間を使ってまずは古河掛水倶楽部を見る。
傾斜地に建っているせいか、川側からの眺めがとても不思議な建物。
煉瓦書庫は小さな建物だけど、かなり絶品度高かったことが髣髴される味のあるもの。
古そうにも見えた足尾駅、通洞駅は不精して車を止めてカメラに収めないで通過。
(どちらも登録文化財を検討しているらしい。うう、しまった)

その後メンバーと合流して大急ぎで本山精錬所、足尾鉄道の橋梁、古河橋、古河工業藤間工場、
間藤水力発電所跡、本山小学校、間藤浄水場、掛水倶楽部(再)、渡良瀬橋等々を見て廻って昼食。
中央郵便局に関して少しまじめに議論して、さてシンポ。
ですが時間がないので知人の発表部分だけ拝聴してぞろぞろと退去(すみません)、
通洞動力所、通洞変電所(どちらもすさまじい廃墟状態で国道脇に姿を晒している)
プチハイキングをして宇津野火薬庫跡(間違えて別のものを見た?)と大急ぎでシバいて富広美術館へ。
少し前に大きな話題になった建築ですが、観光施設としては上手く考えられていますね。
あそこまでお店っぽい、というか、ラブホみたいなセンスを前面に出した公共建築というのも珍しい。

そしてさらに旧花輪小学校記念館(写真よりずっと見所のある建物。しかも銅像の台座は伊東忠太だ!)、
わたらせ渓谷鉄道上神梅駅(みなに大人気)、ながめ余興場(ようやく)と廻って17時半。
写真はもう厳しいよねぇ、といった暗さになって本日の建築行脚はようやく終了とあいなりました。

いやあ、今回は凄いなあ。数もそうだけど、内容的にも色々あってなかなかの充実度。
で、さぞかしイッパイ写真を撮ったと思われるでしょうが・・・。
なんと途中でデジカメの調子が悪くなり、「キメ写真」用にもっていった銀塩の一眼レフを多用する羽目に。
もとよりフィルムの十分な準備などがあろうはずはなく、色々割愛せざるを得ませんでしたが、
まあ、デジカメでやたら撮っても使える写真はたいしてないんで同じか。

さて、みなと別れたプラナリアは桐生駅前のホテルにチェックインした後、
下見を兼ねて夜の街をふらふらさ迷いながら「一の湯」まで行って一風呂浴び、
さて、途中にあった渋い店構えの鰻屋さんに寄ろうと思ったら、既に終わっていました。
桐生って夜早いのね・・・。
しょうがないのでラーメンと餃子を食べた後に(群馬って値段は東京並なの??)、
金善ビル(登録文化財)に入っているレストランバーに行き、
オリオンビールを飲んでいる途中で一瞬轟沈。
カプセルみたいな椅子選んで座ったんですごく快適に眠れました。

以上駆け足で今日のまとめbyミニパソ@旅のお供、でした。
明日は桐生をシバくぞ!
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明治国家が求めた訳は。

小沢朝江氏の「明治の皇室建築」を読む。
以前ワタリウムの「庭園倶楽部」で面白いレクチュアをお聞かせいただいた記憶があり、
本屋で見かけて速攻で購入(そういう本に限って図書館にあったりするんだけど)。

明治の皇室建築―国家が求めた“和風”像 (歴史文化ライブラリー)明治の皇室建築―国家が求めた“和風”像 (歴史文化ライブラリー)
小沢 朝江

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で、期待に違わず、なかなか面白いです。
明治天皇巡幸時に各地に建てられた建築や、今でも各地に残る旧○○宮邸、
そして東宮御所(赤坂離宮、現迎賓館)などを縦横に論じ、

近代の住宅建築、すなわち「中流階級」における<和風>:
・近世から連続するもの
・<洋風>との共存のなかで次第にきえていくもの

近代の皇族のすまいにおける<和風>:
(一見近世と連続しているように見える「和」館も、断絶しているように見える「洋」館も)
・近代に誕生した、近代独自の建築様式
・自らの身分を示す表象として、意思を持って選択した様式

との結論を鮮やかに導き出しています。
特に、近代皇族の<和風>は「七宝文に鳳凰牡丹文様のテーブル掛け」一枚で
それを表象することが可能なまでに様式としての強度を持っており、
「金屏風と椅子とこのテーブル掛けをかけたテーブルだけ」というシンプルな室礼であっても
十分「天皇の空間」を現出することが可能であった、との指摘は刺激的です。

あえて無いものねだりをいたしますれば、なぜにこのような<和風>を明治国家は要請したのか、
といった辺りを建築史の道を踏み外してでも論じて頂けるとうれしかったかも、ですが、
それを始めたら新たに丸々一冊分書くことになっちゃうか。
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