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写真は動員されたか

日中戦争から第二次世界大戦にかけての日本のグラフジャーナリズムについてといえば、
この本に止めを刺すだろう。

戦時グラフ雑誌の宣伝戦―十五年戦争下の「日本」イメージ (越境する近代)戦時グラフ雑誌の宣伝戦
―十五年戦争下の「日本」イメージ (越境する近代)


青弓社 2009-02
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表現に磨きに磨きをかけた「NIPPON」や「FRONT」がその表現の先鋭性故に
現実と乖離し失速していくのに反し、
あきらかにレイアウトもダサいし写真も野暮ったい「アサヒグラフ」海外版などの
新聞社系のグラフ雑誌がそのノイズの多さゆえに多様な読みを許容し、
メディア(あるいは「写真」)として生命力を保ったことが指摘されているのが面白い。

さて、それらの華麗なメディアに比べると、戦場で大量に撒かれる「ビラ」は
撒く側の意向がストレートに表出されるという意味で興味深いメディアである。

戦場に舞ったビラ――伝単で読み直す太平洋戦争 (講談社選書メチエ)戦場に舞ったビラ―
―伝単で読み直す太平洋戦争 (講談社選書メチエ)


講談社 2007-03-09
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この本は絶望的な戦場でビラから必死に戦況を読み取ろうとする兵士達の声を
数多くの部隊の記録文集などから拾い上げた労作であると共に、
(プロパガンダの「しかた」から彼らはその内容の真偽を見抜くのである)
そこから、例えば「なぜ捕虜にならないのか」といった兵士達の精神状態までを
現場の視点から読み解いた稀有の書でもあると思うのだけれども、
今回のテーマはグラフ雑誌のメディア論なので、「LIFE」の話を紹介したいと思う。

ご存知のように「LIFE」は1936年に創刊された写真週刊誌で、
ドイツからの亡命者により伝えられたフォト・ジャーナリズムをベースにしているという点では
「NIPPON」の兄貴分とも言える雑誌である。
ところで、南方の孤島で孤立している日本軍の兵士には武器弾薬もや食料も補給されないのだから
当然「NIPPON」どころか「写真週報」だって届かない。
しかしアメリカ兵には「LIFE」がきちんと送られてきて、読み終わると彼らはそれをゴミとして捨てるのである。
食料に困った日本兵はアメリカ軍の兵舎に夜襲をかけて食料を奪ったりしていた訳だが、
そのうちアメリカ軍も夜襲の意図を理解して、兵舎から離れた場所にゴミを捨てるようになったらしい。
そこに捨てられていた「LIFE」が意図的に一緒に捨てられたいたのかは不明だけれども、
写真と図表で視覚的に訴える構成の「LIFE」誌の誌面は英語が分からない日本兵にも理解可能であり、
事実彼らは食入るようにそれらを読み、自身の状況と照らし合わせて戦況を判断していたのだそうだ。

「写真週報」の内容が国民にどの位信用されていたのかはよく分からないけれども
この週報、新聞出身者による編集なだけあってグラフジャーナリズム誌としては
(戦争末期のヒステリックな状態に至る前までは)やはり「ノイズが多い」感じで、
このことはかえって雑誌の信頼感を醸成するのにプラスであったと思う。
ただ、仮に敵軍兵士や占領下の住民が見た場合はどうだろうか?
たぶんノイズが多すぎて、誌面からだけでは内容を掴む事は難しいのではないか。

「LIFE」に掲載されている連合軍の進出を示す図や戦場の写真を見て
日本軍兵士が「でっち上げだ!」と思わなかったのは何故だろう。
これを写真の持つ真実を伝える力によって読者を説得する
グラフジャーナリズムの勝利だ、と解するのはちょっと単純すぎるだろうか?
(日本側の写が種々の加工を大量に施されたものであることは周知の事実ではある)

いずれにせよ、ここでも「大日本帝国」は生産統制の論理で写真文化の統制を企て、
その担い手の多くの主体的参加を得ながら、結局その動員に失敗したと言えるのかもしれない。
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映画は動員されたか?

ようやく読了。映画統制や文化工作に興味がある人には一読をお勧め。

難点は分析がややこなれていない感があるのと、
せっかく当時の植民地や占領地(旧満州国や華中、華南、台湾、朝鮮半島、南方)
まで視野を広げて包括的に取り上げているのに(いるからとも言える?)、
いくら現資料が無いとは言え、2次資料を、しかもやや無批判とも思える形で根拠にしているところか。

だから満映、中華電影に関しては特に目新しい新しい内容はないとも言えるんだけど、
相互の関係を考えるには纏まっていて便利、とも言える。
(他の地域も探し回る手間を考えると「先にこちらを読んでいれば」感はあるね)

「本土」に関しては、アプローチが異なるにもかかわらず古川隆久さんの
戦時下の日本映画―人々は国策映画を観たか」と同じような結論になっていたのが面白かった。

総動員体制と映画総動員体制と映画
加藤 厚子

新曜社 2003-08
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でもこの値段(古書価もUP!)とお堅い内容じゃそうそう「お勧め!」とは言えないよなー。
かく言うプラナリアだって図書館から借りてる訳だしね。

なお、上記熱帯書店でのお勧めがわずか星二つで(評価しているのは一人だけだが)、しかもレビュー欄に
「映画のことをよく知らない著者による映画本」などという間の抜けたコメントが付いてたりしていますが、
本書は総動員体制下での生産統制的手法による「映画」への統制が「文化統制」として有効であったかを、
大日本帝国勢力圏全域(内地と外地両方)における映画文化工作全体を視野に入れて分析した学術書であって、いわゆる映画本ではない。
そのジャンルのことを狭くしか理解しない「マニア」の短絡的な評価に騙されないように。
ま、こういう人は二言目には「映画を見たことがない」とか言うんですぐ区別がつきますが。

ところで、このような統制手法は「商品」それ自体ではない「広告・宣伝」でも行われたわけだけど、
そのプロパガンダ効果を「商品」的な視点から分析することも可能だろう、
ということで、機会があれば同時代のビラやグラフ雑誌を論じた本を取り上げる予定、っていよいよ本丸ですね。

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車で汐留

汐留のパナソニックミュージアムで開催中の坂倉準三展が最終日なので、
図録もほしいしコルセットを巻いて出かけることにする。

昨日バスは危険なことを再確認させられたので散々悩むも、
やはり車が楽だろう、ということでルーテシア君で出かけることに。
美術館には駐車場がない、というより電工の駐車場は使わせない、ということらしく、
汐留シティセンターの駐車場・300円/30分に停めるよう案内されるが、
行ってみたら美術館とはエレベータで直結だったのでその点は良かった。

でも車に乗る、っていうのは腰を使うのね。
扉を閉めるのもサイドブレーキを引くのも結構要注意だ。
まあ、腰は大分改善されているのだけれども、
右足がヤバイのでブレーキ踏み続けているのも案外つらい。
で、当初はやっぱ車は止めた方が良かったか、と反省したりもしたのだが、
日曜日の都心は車も少なく、片道1時間かからなかったのでなんとか乗り切りました。

今日の失敗としては図録が売り切れで貰い損ねてしまったことと(大損害)、
駐車場から出る時おつりの100円玉を通路に落としてしまったこと。
ここで100円を拾うために体を捻ったのはあんましグッドではなかった訳だが、
帰ってこの話を妻にしたら「あきらめなかったの」だって。

う~ん。。
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安静第一

イタイイタイと言いながら無駄に連休を過ごし、4年振りにカイロにお世話になることに。
おかげさまで大分楽になりましたが、木・金無理に動いたせいか筋肉が炎症を起こしており、
こればっかは直るまで待つしかないということだそうで。
しかも連休中も診療所は明けていらしたんだとか。

あう~。
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中身は新品同様?

市川の旧県立血清研内に残っている明治の煉瓦倉庫の見学に行く。

外部の煉瓦は長年の風雪でなかなか味がある状態に。

ところが内部はご覧の通り新品同様、色合いも鮮やか。
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