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「悪意」の起源とその発現システムについて

だいぶインフルからは回復してきましたが、集中力が・・・。

さて、復興小学校である九段小学校の改築が取りざたされている中で、
区が地元の協議会に出している資料におかしな点があるようだ。
JIA(建築家協会)がそのことを公開の書面で問いただしているが、
JIAの指摘が正しければ、区側のコンサルは
斜線制限も採光規定も知らない建築の素人ということになる。

でもここで議論したいのはそのことではなく、悪意についてだ。

東京中央郵便局でも明石小学校でも良いのだが、あれこれ理由をつけてでも
歴史的建造物を壊して建て替えたい、という恐ろしく邪悪な心はどこから来るのか。
(文化財を守ることは大切です、と子供のころから教えられているのにね)
もちろん歴史的建造物を使い続けることによる制約というのは当然あります。
とはいえ、普通に考えれば建て替えだろうがリノベーションだろうが、
安全・安心で子供の教育環境が守られるのであればどちらでも良いはず。
諸条件を整理してフラットに吟味すれば良いわけだが、
なぜ建て替えありきで事実を捻じ曲げてまで押し通そうとするのか。

「僕のお父さんは東電の社員です」「僕のお父さんは東電の社員です」
>森達也 著+毎日小学生新聞 編

現代書館 2011-11-25
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子供たちの投稿と森達也さんの手紙によって構成された本書は
相手の立場に対して真摯でありながら、正々堂々と自己主張する子供たちのまぶしさに
未来への期待を感じさせられる好著だが、
その子供たちの議論にたいする大人からの答えとして書かれた森さんの文章の中に、
なぜ人は「悪とわかっていることをしてしまえるのか」、
という問題についても書かれている。

結論から言えば、それは組織の怖さということになるのだが、
なぜその組織のダメな部分が「建築」という営為と絡むところで発現するのか。
建設業は利権産業でダークな面がある、という社会の見方はいまだにあるが、
しかし教育行政には他にもいじめの隠ぺいを始めとする問題が多々あって、
建設業の問題に還元できるような話でもないと思う。

悪意を抱いている主体(例えば区長、○○議員、○○課の職員)など存在しないかもしれないが、
しかし現にその悪意は確実に発動されているという、
この底知れぬ不気味なシステムから教育を取り戻す手がかりとして
歴史的建造物を愛し、守る気持ち、ひいては
己の歴史に誇りと責任を持つ姿勢(当然良い点も悪い点も含めて)を位置づけていきたいと思う。
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