ある方のブログから知り、この方【半澤鶴子氏】の「女ひとり 70歳の茶事行脚」と
「 女ひとり ドイツ茶事行脚」放送を見た
私はお茶を習ったことがないからか、存じ上げませんでした
「茶事とは千利休が確立した4時間ほどの茶会、懐石から始まり酒を振るまい、
最後にお茶でもてなす」ことだそうです
抹茶とお菓子を食べるのが「お茶」ぐらいにしか思っていませんでした
おもてなしの原点と言われる「茶事」に人生をかけ、全国行脚を決意し
日本で数少ない茶事の出張料理人、半澤鶴子さんが70歳を機に茶事の神髄を
極めようと、鍋釜と茶道具を車に積み込み、自らハンドルを握り、着物姿で車を運転
全国各地で出あった初対面の人々に、その土地の食材を使った料理とお茶をふるまう
2年に渡る旅に密着したものが放送された
もう一つは・・・
ドイツから茶事の依頼が来たのをきっかけに、言葉も全く通じないドイツで
茶事行脚を決心、無謀とも言える1か月の旅路。実りの秋、美しい自然も満喫しながら
半澤さんは一期一会の奥深さを体感
この方、1943年生まれ、幼少期に両親と離別、中学まで広島(音戸とか)の
義父母のもとで育ったそうです、中学卒業後に洋裁を学び、20歳で結婚、子をもうけ
結婚後に通信制の高校を卒業、保母の資格と調理師免許を取得、40歳のとき、
興味のあった茶事一本にしぼって活動するため、出張料理人に転身
現在は、比叡山の麓近く八瀬の里に「自蹊庵」を千葉から移し
「茶事懐石の基礎となる日本料理基礎講習」「利休会記を読み解く会」
「保存食講習」「茶の湯稽古などの自由学習」 などなど・・・
【春・夏・秋・冬 自然の流れを楽しみながら さらさらと茶事を楽しみたい】と
八瀬の里のまなびやが開かれている
まぁ~ざぁーと申せば半澤鶴子さんの約80年の人生です
しかし、実際、そんな平坦な人生では有馬温泉
2歳で親のない子が親戚の家に預けられたことから、又そこからの成長の過程が
現在の彼女が出来たのではないかと私には思えた
自分で何とかしなければ 、 誰も助けてはくれない
そして、最も彼女の心の空洞を作ったのは、私が思うに「親に捨てられた」
戦前、戦後はこのような悲劇は多々あったのかもしれないが、事実は事実だ
勝手に彼女の極寒の心を思ってまたまた号泣した
その深さが、お茶と料理を媒体に一期一会のつながりを求めての行脚なのかなぁ~
お茶の極みは私には全くエリア外の思いもよらない世界だから、彼女が一体何を
極めようとされているのかはわからないが、夫がいても、子がいても、それが
埋まることなど無いのかもしれない
もしそうなら、抱きしめてあげたい衝動に駆られた
成長の過程で空いた穴は、その後、その上にいくら積み重ねても穴は埋まらない
空いたままなのだと思う
今、手を骨折されているとか、すでに完治されてるかもしれないが、どうぞお大事に・・・
知りませんでした(恥)。
お茶は奥が深すぎて、形だけ覚えても彼女
みたいに極めるのはとても、とても。
お茶ってお食事やお菓子まで手作りしたり、時にはお風呂まで沸かしておくのよ、
だからサワリ?だけ覚えているのが無難(笑)
なですね(^O^)
今は知りませんが、私の頃は
お茶・お花・料理は嫁いりの
必須のような所がありました
所がです、私その三種の神器
のようなものにトンと興味が
なくて、料理だけは結婚が
決まって、半ば強制でちょっと
だけ習いに行きました
花は仕事人の時花を生けなくては
ならなくなり、会社の前のビルで
やってた教室で付け焼刃・・
その時はすでに結婚して少し時が
経ってましたし・・・
所が2年通いました(^_^;)
その時、生け花は結構好きなのを
知りました(^_^;)
どーも、決まり事が多いことが
苦手で・・
抹茶は好きなんですけどね
そーじゃないか・・(^_^;)
70歳の女性一人が野宿って、ありえねーざーでしょう!
それと人懐っこさ!誰でも手を取って、やりましょうよ!と言う。私も実際NHKの講演会で肩を叩かれました。^_^
仰る通り若い時に想像を絶する苦労をされてるのでしょうね。
今日が一番若い、と完全前向き女性です。
指導は厳しいと噂ですが、とってもチャーミングな着物のおばあちゃんです。
私も真似して餃子、たこ焼き行脚しようかな。^_^
お礼申し上げますm(_ _)m
確かに、野宿は私も驚きました
70才ですからね、それも女性だし
私にはとてもとても真似のできない
事ばかりの彼女の行動力に圧倒です
事実を積み上げている人って、強い
ですね、ほんと圧倒されてフリーズ
してしまい、私まだ未消化のままの
ようです