昨夜、久しぶりに『となりのトトロ』を見た。
題の言葉の響きも、作品もすべてが大、大、大好きな作品。
それは、私を子供の頃にタイムスリップさせるからだと思う
決して楽しい子供時代へのタイムスリップではないけれど、それでも、子供時代への
ノスタルジアはあるみたい。
ドラマほど美しい田舎ではないものの、何かが潜んでいそうな池・うっそうと木々が生
い茂った神社・水を張った田・側を流れる小川・夏にはいつも冒険と泳ができる川な
どなど懐かしさでいっぱいになる
そして、子供の時に起きた、自分たちの運命を重ねてしまう。
サツキとメイのように私達も二人姉妹で、私は長女。
私が小5の時「心臓弁膜症」の手術のため母が入院。
ドラマと違い、私たちは近くに住む、母の実家にしばらく預けられた。
今も忘れることができないが、小5の私には「天変地異」「青天の霹靂」とでも言おう
か、脳みそが膨張したようで、「大変だ、うそだろうーこんなことが自分の運命に起こ
るとは、母が死んだらどうなっちゃうのだろう、」などという思いが、ボーとした頭を駆
け巡っり 心が不安で痛かったのを今もはっきりと覚えている。
ドラマのサツキのように、賢くて、がんばりやで、健気で、妹思いで明るい私ではなか
ったけれど、母を失うかもしれないという、とてつもない大きな不安は同じかなぁ~
ストーリーの中で、母親の入院先から電報が届き、一時帰宅が流れてしまう
以前にもそういうことがあったらしく、サツキは心の隅に追いやっていた、大きな不安
に押しつぶされそうになる。
母の一時帰宅がなくなったことを、サツキと同じように待ちわびているメイに伝えるが
4歳のメイには受け止められず「嫌だ」とごねてしまう。
わがままが言える立場にいるものの特権なのか、なぜか妹弟とはそんな時、気持ち
をストレートに出してくるように思う。
この場面になると、見るたび号泣してしまう、サツキの気持ちも、メイの気持ちも手に
取るようにわかる。
必死にがんばっている心から溢れちゃうんですよね。
いつもは優しく、ちっちゃなお母さんのサツキもメイと喧嘩をしてしまう。
虚脱したように横たわる二人を見かねて、いつも世話をしてくれている隣のおばあさ
んが、洗濯物の取入れや、夕飯の支度をしに来てくれるが、そこで初めて、サツキは
そのおばあさんに「母が死ぬのではないか」という恐れを口にし泣きじゃくる。
もうー、もうー号泣ですよ
そんな姉の姿を見て、メイは大人の足でも3時間はかかる入院先の病院まで、母が
一時帰宅したらあげようと思っていた「トウモロコシ」をしっかりと抱きしめ、父とサツ
キと一緒に行った病院への道を走り出す。
結局は道に迷ってしまい、夕暮れが迫ってきて、途方にくれてしまうのだけれども。
美しい景色、そこに住む人々の純朴で優しい心根の住人、子供の心を優しく受け止
める父、そして、そんな村に住む妖怪達が、明るく必死に耐えている、幼いサツキと
メイを優しく見守り、助け育てている。
そんな「となりのトトロ」は私にとって、癒しのドラマです。
また、4歳のメイが話す、舌足らずの言葉も気に入っています
特にお気に入りなのが「おたまじゃくし」のことを「オジャマタクシ」といってます
これもマンガなのですが「ぽっかぽか」という作品の中でやはり4~5歳の子が
「アドバルーン」のことを「アバドーン」というセリフがあります。
好きですね、こういう子供の受け取り方、字ではなくフィーリングで受け取る
大人になればなるほど、しなくなるし、できなくなるし、よって、トトロも見えなくなるん
ですね
隣の女の子が高島屋のことをタカシヤマと言ってました。
50年も前のこと。
今や、彼女も孫にトトロを見せてるんですかねぇ。
代が変わっても子供は同じ、で居て欲しいですね。(^^;
自分もそのときを過ごして来たのに、なんだか違う生き物を見ているようです
でも1年々々ただの人になっていくのが、いーような、がっかりなような・・・