かなり前からTwitterのアカウントを持っていて、使っています。(2009年8月からTwitterを利用しています と記載あり)
Twitterは、「2006年3月21日, アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンフランシスコ・・」とあるので、使ったのは比較的早い方ではないでしょうか。
とはいえ、当初から「ブログから自動的に配信してつぶやける」という機能があったので、そればかりで、自分で見ることはほとんどありませんでした。
今回の「コロナ」で、情報収集をすることを思いつき、多くの方のフォローをしたのですが、想像以上にTwitterを読むのは大変でした。
なぜなら、「返信の意見がキツい表現」だったり、「意見に賛同しているものでも、そもそもTwitterのつぶやきが批判」だったりするので、読むのがつらいのです。
あるとき、気づきました。
その内容を自分自身のココロで判断するのではなく、「こういう意見がある」とか、「反射的に批判をする人がいる」、「つぶやいた内容をきちんと読んでいなく、そして知識もないのに、かなり上からの発言がある」ということを見て、自分の環境ではありえないような発言をする人がいる事実を客観的にみることが自分にとって必要であるということです。
日常の生活の範囲は広くなく、狭いところで暮らしているのです。
営業をしていたときはまだしも、事務職である今は、あまり外の空気には触れないのです。
そんななか、自分の考えとは違うものをみて、そういう状況があるという事実、そしてそのつぶやきに対してどのような考えをするのかを、自分の思考と比較して考えてみることをしています。(頻繁ではないですが)
どういう立場や思考でその意見を言っているのかの仮説を立てて、それを説明するということです。
これは、相手を理解するための思考の訓練になるのではないかと思っています。
自分が考えていることが正しいという認識から、自分が考えていることは大勢の思考とは異なっている可能性があるという認識へ切り替えるために必要なのではないかと思っています。
オヤジ世代、どんどん思考が固まる(自分が正しいという認識)ので、それを避けるためにTwitterを使ってトレーニングをしようという試みです。
的外れかもしれませんが、そのように考えてTwitterをみるようになってから、「この内容の裏付けはないかな?」とか、「それは知らなかった、そういう考えもあるのか」という発見が出てきました。
ただ、この方法、フォローするひとを誤ると、効果が薄いというか悪い方向に行きそうで怖いです。
「個人差ありますってなにについて?」と思うかもしれませんが、批判を受けないためのガード文言です。(笑)