先週は台風6号の通過から後、いやに涼しい日が続きました。
体調不良で仕事にも出られずじっと家で過ごしていた私には、クーラーで身体を冷やす事も無く良かったのかもしれません。
それでもゆっくりしていると自分の身体の微々たる変化にも敏感になり、かえって神経質になり過ぎてしまうもので、何とか気持ちを切り替える事に苦労しました。
PCの前でお気に入りに登録しているブログ繋がりの方を訪問してみたりもするのですが、肝心の目!が直ぐに疲れてしまうし長続きしないのです。
おまけに、あちこち山に入られて旬の山野草に逢われている様子などを見ていると、行けない自分が情けなく逆に落ち込んでしまったりと、まぁ何をしても上向きにならない自身との葛藤でもありました。
そしてやっと日曜日。
そんなすっかり病人になっている私を相方さんが連れ出してくれました。
「何処行くか?平尾台でもブラつくか?」
コンビニで菓子パンと栄養ドリンク買って向かったのは、平尾台ではなく古処山の麓のキャンプ場「遊人の杜」でした。
何時も私には到底出来ない登山と、珍しい花を見せて貰っている隣町の住人さんのブログ「路傍の石」
yoshieeeeさんのギンバイソウの素敵な写真が気になっていたからです。
登山口付近をお散歩するだけでもいいかな?と思いつつ車で移動の間も気持ちの不安感は消えていなくて、きつくなったらUターンしてもらおうと初めての道、八丁峠にそしてまもなくキャンプ場に着きました。
数組の親子連れグループの皆さんが朝食の片付けをされていて、子供達の元気な声で私も少し元気が出て来て、ちょっとだけ歩いてみようかと。。
受付で一様入山届けも出したけど、多分直ぐに帰って来ますとお断りもして登山道に入りました。
沢の水音とヒグラシの声、植林地の中の登山道をゆっくり歩きました。
まもなく小さい橋があり「奥の院」との表示を見ながら真っ直ぐ進みます。
オオキツネノカミソリが咲き出していました。
まだまだいっぱい花芽が生まれています。芽生えたばかりの花芽を踏みつけそうなのでそっとそぉ~っと写しました。
木漏れ日が邪魔します。
しばらく行くと木の階段も
歩きやすい登山道と思ったのも束の間、この先からは結構荒れてましたが登山口から1時間弱で着くらしいので
「私!頑張れ!!」
と励ましながら登りました。
来た道を振り返ってます。
やがて樹林の種類が変わりました。
途端に気持ちの良い道に!
そして広場のような所に出ました。
ん?ここが頂上か?
ではなかったです。
この広場で初めて会った男性が親切に教えてくれました。
頂上はまだ少し先、人に会わない静かな山だと思っていたのが嘘みたいに頂上は座る場所も無い位の登山者で賑わっていました。
古処山について勉強不足だったので家に帰ってから早速検索しました。
以下、参考資料をそのままお借りしました。
古処山(859,5m)
福岡県のほぼ中央に位置する山で、嘉麻市および朝倉市の境となっており、両市を結ぶ八丁峠(国道322号)はこの山の西側中腹付近にある。
全山が石灰岩で出来ており、白い岩が多いことから白山(はくさん)とも呼ばれる。 山頂付近にかけての一帯にはツゲの原始林が残っており、特別天然記念物に指定されている。
鎌倉時代から戦国時代末期にかけてこの辺り一帯を治めた秋月氏の居城、古処山城はこの山にあり、頂上付近にその跡が残っている。近くには「水舟」と呼ばれる湧水がある。
頂上には「奥ノ院」「大将隠し」と呼ばれる岩場がある。ここからは筑豊地区および甘木・朝倉一帯、宝満山、背振山系、九重山系を眺めることが出来る。またここから尾根伝いに隣接する馬見山、屏山への縦走路もある。
麓にある朝倉市秋月地区は、伝統的建造物群保存地区に指定された旧城下町であり、福岡県を代表する観光地でもある。嘉麻市側にもキャンプ場などが整備されている為、キャンプと登山が一緒に楽しめるスポットとしても人気が高い。
歴史 [編集]近隣の英彦山同様、古くから山岳宗教の聖地として知られており、伝教大師(最澄)が山中で薬師如来像を彫ったという伝説がある。最盛期には坊舎が36箇所あったといわれているが、現在その痕跡は残っていない。
鎌倉時代、この地を治めた秋月氏の祖原田種雄が本拠地として頂上に古処山城を築城。険しい山の上に築かれた城は難攻不落の堅城と謳われた。
戦国時代末期の天正15年(1587年)に秋月氏が豊臣秀吉による九州征伐に敗れ、日向国(宮崎県)へと移封された。このため城は廃城となる。
その後、江戸時代になって秋月藩が成立すると古処山は藩の直轄地となり、同時に景勝地として親しまれるようになった。
秋月藩出身の儒学者原古処の号、「古処」はこの山に由来する。
昭和2年(1927年)にはツゲの原始林が国の天然記念物に、昭和27年(1952年)には特別天然記念物に指定された。
結局、登って降りただけ、ギンバイソウもベニシュスランにも会わなかった。
道が違っていました。こんな事ならもっと前勉強しとくんだったと後悔しても後の祭りですが。。
今週からまた仕事に復帰したけれど、体調は??すっきりしないまま。
でも山歩き出来たんだから!!と自身に言い聞かせています。
もう7月もまもなく終わりますね。
実は今日、私の誕生日なんです。
↑のツゲが特別天然記念物に指定された年の今日、生まれました。
ブログも途切れがちになってしまってますが、忘れた頃にまた更新するかもです。
まずはこの夏を無事に乗り越える事を、目標に頑張ります。
体調不良で仕事にも出られずじっと家で過ごしていた私には、クーラーで身体を冷やす事も無く良かったのかもしれません。
それでもゆっくりしていると自分の身体の微々たる変化にも敏感になり、かえって神経質になり過ぎてしまうもので、何とか気持ちを切り替える事に苦労しました。
PCの前でお気に入りに登録しているブログ繋がりの方を訪問してみたりもするのですが、肝心の目!が直ぐに疲れてしまうし長続きしないのです。
おまけに、あちこち山に入られて旬の山野草に逢われている様子などを見ていると、行けない自分が情けなく逆に落ち込んでしまったりと、まぁ何をしても上向きにならない自身との葛藤でもありました。
そしてやっと日曜日。
そんなすっかり病人になっている私を相方さんが連れ出してくれました。
「何処行くか?平尾台でもブラつくか?」
コンビニで菓子パンと栄養ドリンク買って向かったのは、平尾台ではなく古処山の麓のキャンプ場「遊人の杜」でした。
何時も私には到底出来ない登山と、珍しい花を見せて貰っている隣町の住人さんのブログ「路傍の石」
yoshieeeeさんのギンバイソウの素敵な写真が気になっていたからです。
登山口付近をお散歩するだけでもいいかな?と思いつつ車で移動の間も気持ちの不安感は消えていなくて、きつくなったらUターンしてもらおうと初めての道、八丁峠にそしてまもなくキャンプ場に着きました。
数組の親子連れグループの皆さんが朝食の片付けをされていて、子供達の元気な声で私も少し元気が出て来て、ちょっとだけ歩いてみようかと。。
受付で一様入山届けも出したけど、多分直ぐに帰って来ますとお断りもして登山道に入りました。
沢の水音とヒグラシの声、植林地の中の登山道をゆっくり歩きました。
まもなく小さい橋があり「奥の院」との表示を見ながら真っ直ぐ進みます。
オオキツネノカミソリが咲き出していました。
まだまだいっぱい花芽が生まれています。芽生えたばかりの花芽を踏みつけそうなのでそっとそぉ~っと写しました。
木漏れ日が邪魔します。
しばらく行くと木の階段も
歩きやすい登山道と思ったのも束の間、この先からは結構荒れてましたが登山口から1時間弱で着くらしいので
「私!頑張れ!!」
と励ましながら登りました。
来た道を振り返ってます。
やがて樹林の種類が変わりました。
途端に気持ちの良い道に!
そして広場のような所に出ました。
ん?ここが頂上か?
ではなかったです。
この広場で初めて会った男性が親切に教えてくれました。
頂上はまだ少し先、人に会わない静かな山だと思っていたのが嘘みたいに頂上は座る場所も無い位の登山者で賑わっていました。
古処山について勉強不足だったので家に帰ってから早速検索しました。
以下、参考資料をそのままお借りしました。
古処山(859,5m)
福岡県のほぼ中央に位置する山で、嘉麻市および朝倉市の境となっており、両市を結ぶ八丁峠(国道322号)はこの山の西側中腹付近にある。
全山が石灰岩で出来ており、白い岩が多いことから白山(はくさん)とも呼ばれる。 山頂付近にかけての一帯にはツゲの原始林が残っており、特別天然記念物に指定されている。
鎌倉時代から戦国時代末期にかけてこの辺り一帯を治めた秋月氏の居城、古処山城はこの山にあり、頂上付近にその跡が残っている。近くには「水舟」と呼ばれる湧水がある。
頂上には「奥ノ院」「大将隠し」と呼ばれる岩場がある。ここからは筑豊地区および甘木・朝倉一帯、宝満山、背振山系、九重山系を眺めることが出来る。またここから尾根伝いに隣接する馬見山、屏山への縦走路もある。
麓にある朝倉市秋月地区は、伝統的建造物群保存地区に指定された旧城下町であり、福岡県を代表する観光地でもある。嘉麻市側にもキャンプ場などが整備されている為、キャンプと登山が一緒に楽しめるスポットとしても人気が高い。
歴史 [編集]近隣の英彦山同様、古くから山岳宗教の聖地として知られており、伝教大師(最澄)が山中で薬師如来像を彫ったという伝説がある。最盛期には坊舎が36箇所あったといわれているが、現在その痕跡は残っていない。
鎌倉時代、この地を治めた秋月氏の祖原田種雄が本拠地として頂上に古処山城を築城。険しい山の上に築かれた城は難攻不落の堅城と謳われた。
戦国時代末期の天正15年(1587年)に秋月氏が豊臣秀吉による九州征伐に敗れ、日向国(宮崎県)へと移封された。このため城は廃城となる。
その後、江戸時代になって秋月藩が成立すると古処山は藩の直轄地となり、同時に景勝地として親しまれるようになった。
秋月藩出身の儒学者原古処の号、「古処」はこの山に由来する。
昭和2年(1927年)にはツゲの原始林が国の天然記念物に、昭和27年(1952年)には特別天然記念物に指定された。
結局、登って降りただけ、ギンバイソウもベニシュスランにも会わなかった。
道が違っていました。こんな事ならもっと前勉強しとくんだったと後悔しても後の祭りですが。。
今週からまた仕事に復帰したけれど、体調は??すっきりしないまま。
でも山歩き出来たんだから!!と自身に言い聞かせています。
もう7月もまもなく終わりますね。
実は今日、私の誕生日なんです。
↑のツゲが特別天然記念物に指定された年の今日、生まれました。
ブログも途切れがちになってしまってますが、忘れた頃にまた更新するかもです。
まずはこの夏を無事に乗り越える事を、目標に頑張ります。
目的の花たちが見れなかったとしても、無事に山頂を制覇したみたいで「おめでとうございます」、「またの、お越しをお待ちしています」って、古処山の仏様たちからの、お声が聞こえてきそうです??
「今度は、ルートを変えてお越しください」って声も聞こえていそうです!!
お越し→お来し
だとおもうのですが・・・
昨日お誕生日やったがやねえおめでとう
体調あんまりようなかったがやねえ。
昨日遅く電話が有って、今日はこれから幼馴染が来ることに備えて、片づけせんといかんき、取り合えずおめでとうだけでごめんぜ。普段からちゃんとしてないとこういうとき慌てる
英彦山の道なき道や古処山の可愛らしい花たち、「ええなぁ・・」
と思いつつ見てました。
実際に歩く事になるとは考えてもいなかったので、こんな事なら花の写真ばかりでなく、登山路をもっとインプットしとくべきだったと、後悔しました。
それでも沢山の石仏様に迎えられて、気分は晴れました。チョ~久し振りの山頂で相方さんも喜んでくれました。
yoshieeeeさんのブログを見せてもらっているおかげです。ありがとうございました!!
年に1回は必ず来るもんやけど、自分の生まれた日だけはやっぱり特別やね。
けど、今回は結構きつい一日やった。
仕事の途中にもめまい緩和の薬飲んで何とかラストまで働いたけど、今日はまた休ましてもらった。
自分の身体が思うようにならん事は精神的にも参る。正直、落ち込んでしまう。情けない事やわ。。
花は見頃を過ぎていたかもしれませんが、葉くらいは見れたはずでした・・・
(尾根に出て、登山路ではなく、作業道(林道)を進めば同じところに出たのです。ツチアケビも見れたはずです・・)
何分初めての山だったので正規の登山道を辿るのでいっぱいいっぱいでした。
頂上が何処かも分からず辺りを散策する余裕も無かったのです。こんな歩きでは花にも出会えませんね。苦笑
作業道がずっと続いているのですね。帰りに杉林の斜面を避けて作業道を少し下りました。(行きに長い奴に出会ったものですから・・)
下のほうは立ち入り禁止になってましたね。
古処山は朝倉側からの登山道がメジャーなのでしょうね。山頂は賑わっていましたが行き帰りとも誰とも会わなかったです。
また何時か元気な時に歩いてみようと思います。
下見したと思えば・・・
秋月側の五合目からだと、カリガネソウやレイジンソウの時期、ジンジソウの時期も良いのでは・・
見たことが無いのですが、シュウメイギクで有名とか????
明日は、登山者名簿を見に行こうか?などと考えています??ヨ!!
カリガネソウですって??
見たこと無いですよ。
そんなん聞いたら行くしかないか!!笑
私等もyoshieeeeさんに是非お会いしたいですぅ。
ちなみに今日は阿蘇でキスゲ三昧しましたよ!!
よって、連絡取れず・・・・・・・
私のは、全部残ってましたけど・・
今日の受付分では、すぐ近所の方たちも
行かれていたようでしたが、
会うことは、ありませんでした・・