昨日(26日)の朝は気温0℃
裏の田んぼは霜で真っ白。
早朝に出勤する相方さんと三男坊の車にお風呂の残り湯を運んだ。
今朝は少々雲が多く、明け方の星が見えなかった。
それでもぶるっと来る寒さはない。
こうして日一日と草木も芽生え人の心もぽかぽか暖かい春が来る。
日本の四季ってほんとに有難いものだ。
先週の土曜日(24日)
綱敷天満宮(福岡県椎田 浜の宮)に立ち寄った。
梅は今ま . . . 本文を読む
六郷山寺院の多くは、岩屋と呼ばれる行場的な霊窟でしたが、
天念寺には「お山」と呼ばれる寺の背後にある岩峰群の中に
小両子岩屋や龍門岩屋がありました。
また、「峯入り」という六郷山寺院の僧侶たちが参画する山岳宗練の中でも
重要な寺であり、住僧の修験の場として位置付けられたと思われます。
(天念寺の成立より)
長岩屋伝統文化伝習施設「鬼会の里」の背後に見える山です。
無明橋が見えます。
誰かが . . . 本文を読む
大分県国東半島豊後高田市 天念寺
六郷満山に千年もの間、伝わり続ける修上鬼会(しゅじょうおにえ)
正月七日に国家安泰、万民快楽(げらく)、五穀豊穣を祈念する行事で
国指定重要無形民俗文化財にも指定されているのです。
少し長くなりますが見たままを紹介します。
写真は皆んな相方さんのを拝借しました。
【垢離取り】(こうり)
鬼役の僧と介錯が川中不動前の川で身を清めます。 . . . 本文を読む
先週の事になりますが、
今だ同居している三男坊がめずらしく体調を崩し発熱!
フラフラしているので相方さんが付き添って病院へ。
インフルエンザA型との診断を受けました。
そして頂いて来たお薬が・・・何となんと
『タミフル』じゃないですか!!
インフルエンザの特効薬ですから当たり前の事なんですが、
時が時だけに、超心配性の私にとっては気が気じゃない。
注意事項 精神・神経症状(意識障害・異常 . . . 本文を読む
長崎に行って避けて通れない歴史。
1945.8.9.am11:02
浦上上空500mで炸裂した悪魔の傷跡はこの場に立たずして語れない。
爆心地です。
何も知らずに立ち寄れば、其処は緑に囲まれた
手入れの行き届いた憩いの場です。
色々な思いが駆け巡り、鳥肌が立ちました。
世界の国を動かす偉い方達に
「どうかこの場に貴方も立って!」
と言いたい気分になりました。
. . . 本文を読む
大浦天主堂
正式名称は「二十六聖人殉教聖堂」別名「フランス寺」とも言います。
国宝です。日本最古のゴシック建築様式の教会です。
観光ルートでありながら、
一歩足を踏み入れると凛とした厳かな空気に包まれます。
皆さん黙して椅子に座し、マイクから流れる説明に耳していました。
私も思わず胸に手を当てました。
旧羅典神学校、大司教館
どちらも当時の西欧建築技術の最高レベルを導入した建造物。 . . . 本文を読む
今春の課題だった「セリバオウレンとの出逢い」
を果たす事が出来ました。
今日、朝一番に「行こう!」の掛け声と共に、
何と化粧もせずに出発です。思い立ったら吉日、でしたっけ?
山ではガスが視界をふさぎ最悪のコンディション。
輪をかけて雨も音を立てて落ちてきます。
でも今日は運が良かったのです。
労せずして出逢ってしまいました!!
セリバオウレン(キンポウゲ科)
葉は名の通り . . . 本文を読む
唐人屋敷は江戸元禄期につくられた中国人の居留地です。
出島と共に外国人が住むことを許された限られた処です。
今は埋め立てられて山手になっていますが当時はそばに船着場があり
船載貨物は新地蔵に預けられ唐人達は身の周り品のみで上陸、
最盛期にはおよそ9000坪の敷地に貿易商人や船乗り達
およそ2000人が暮らしていたといわれます。
1859年の開国後は廃屋になり、その後は市民に分譲されたそうです . . . 本文を読む
新地中華街にやって来ました。
東西南北四箇所に中華門があり、風水に基づいて守り神が祭られています。
十字に伸びた石畳の道には中華料理店や中国雑貨の店が軒を連ね
本当に異国へ来たかのような錯覚を起こしそう。。
北門
真剣です!
美味しそう。。お腹すいたなぁ。。。
どの飯店も立派な店構えです。
ブタ君も誘っています。
と言う訳で、角煮饅頭と皿うどん食 . . . 本文を読む
長崎半島の先っぽ、野母崎(のもざき)は水仙の里としても知られています。
が、この暖かさで花は終宴を迎えていました。
五島灘を眺めると見るからに不思議な島が目に入ります。
「端島」又の名を「軍艦島」と呼ばれています。
かつての海底炭鉱で驚異的な繁栄を見せた軍艦島。
南北480m、東西160m、面積1.6ha
始まりはボタを埋め立てに利用したとか・・
やがて最盛期を迎えた頃には、 . . . 本文を読む